中野豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 08:08 UTC 版)
中野 豊(なかの ゆたか、1935年[1][2]5月2日[3] - 2025年2月6日[3])は、日本の実業家。東京都小平市出身[2]。五稜郭タワー2代目社長。息子に五稜郭タワー3代社長の中野恒、専務の中野晋[4]。
略歴
東京都立農芸高等学校を卒業、その後家業の畑作を引き継ぎ花卉生産も行ったが[2]、父・中野真輔が経営する五稜郭タワーの経営が厳しく農地を切り売りされることとなり規模を縮小する[5]。
1976年に五稜郭タワーに営業部長として入社し1978年に常務、父の病気に伴い1982年からは実質的経営者となり1987年に専務となる[2]。父の死去に伴い1994年に社長就任[2]、2代目五稜郭タワーの建設に尽力し[6]、赤字事業となっていたレストラン部門の撤退や雇用の見直し等の経営改善を図り2006年に2代目タワーの完成を実現[2]。1993年から2017年には函館観光協会副会長も務めた他[4]、函館地方法人会会長[2]、箱館五稜郭祭実行委員長も兼任[7]。その後2014年6月18日に社長を退任し会長となる[8]。
2025年2月6日[3]、肺炎のため函館市内の病院で死去、89歳没[4][9]。
出典
- ^ 昭和生まれに若返った函館観光協会のトップリーダー会長に沼崎弥太郎氏就任 - はこだて財界1993年7月号
- ^ a b c d e f g 観光外食4五稜郭タワー社長中野豊さん - トップの決断北の経営者たち(北海道新聞社 2012年)
- ^ a b c “(訃報)弊社代表取締役会長 中野 豊 の逝去について”. 函館・五稜郭タワー | 公式ウェブサイト - Goryokaku Tower (2025年2月11日). 2025年3月4日閲覧。
- ^ a b c “中野豊さん死去 89歳 五稜郭タワー会長:北海道新聞デジタル”. 北海道新聞デジタル (2025年2月10日). 2025年3月4日閲覧。
- ^ 五稜郭タワー株式会社 - 藤江昌嗣・佐々木聡「地域の再生と活性化のためのアントルプルヌールシップ(企業家資質)の実証(企業者史)的研究」(明治大学学術成果リポジトリ)
- ^ 新年号第5部みなみ風特集 五稜郭築城150年 - 北海道新聞2014年1月1日朝刊函館渡島檜山版別刷り特集
- ^ 箱館五稜郭祭 中野豊さん 開港・戊辰戦争の歴史伝える - 日本経済新聞
- ^ 五稜郭タワーの社長に中野恒氏 父豊氏は会長に - 北海道新聞2014年6月19日朝刊15面
- ^ 中野豊さん- 北海道新聞2025年2月11日朝刊15面函館渡島檜山版
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