中村小太朗神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:42 UTC 版)
中村城の戦い、久下田城の戦いの後、天文15年(1547年)~24年(1555年)の頃に時長は中村城の弔いと敵方に城址を利用されないため、領民を守るためにと、時長自らが中興開基となり遍照寺を北東に3キロほど離れた茅堤の地より中村城址に遷らしたとされている。中村領民たちは宇都宮へと移領してなお中村の郷を思護する時長を慕い中村大明神を時長の名である中村小太朗神社として結城領、その後天領となった後にも領民たちの手によって守られ現代まで伝えられている。なお現在は中村領民たちの手によって中村朝宗(伊達朝宗)をご祭神とし歴代の中村氏を祀り、中村城址内である遍照寺の敷地内へと移築されている。
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