中島浩一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 23:30 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | 京都府 |
生年月日 | 1957年9月22日(67歳) |
身長 体重 |
176 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1975年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中島 浩一(なかじま こういち、1957年9月22日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴
プロ入り前
1975年、正強高等学校(現・奈良大学附属高等学校)の3年夏に選手権紀和大会2回戦で奈良工業高等学校に敗れ、3年間で甲子園出場なし[1]。
近鉄時代(1回目)
1年目の1976年は一軍登板なし[2]。 2年目の1977年は一軍・二軍ともに登板なしに終わった[3]。
ライオンズ時代
3年目の1978年6月30日に、高木孝治との2対1の交換トレードで野崎恒男とともにクラウンライターライオンズへ移籍。同年は二軍で8試合に登板し、0勝0敗、防御率2.81を記録した[4]。
4年目の1979年は二軍で9試合に登板し、1勝3敗、防御率7.50。結果を残すことができなかった。 同年限りで西武を退団し、再び近鉄へ復帰[5]。
近鉄時代(2回目)
1980年、古巣で迎えた5年目は一軍・二軍ともに登板なし。 同年限りで近鉄を退団した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 78 (1976年 - 1978年途)
- 53 (1978年 - 1979年)
- 73 (1980年)
人物
クセ球を投げた投手で、ストレートに伸びがあった。選手名鑑によると、真面目な選手であったという。
脚注
関連項目
- 中島浩一のページへのリンク