下間頼俊とは? わかりやすく解説

下間頼俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/30 01:30 UTC 版)

 
下間 頼俊
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天正3年(1575年
別名 和泉守
主君 顕如
氏族 下間氏
父母 下間頼照
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下間 頼俊(しもつま らいしゅん)は、日本戦国時代武将

事跡

父・下間頼照が越前の支配者となると、頼俊は足羽郡司となった。

足羽郡統治と一揆内一揆の鎮圧

しかし、一揆勢は、一揆が切り取った国を本願寺派遣の「上方ノ衆」がもっぱら支配することに不満をもち、十七講(および鑓講)の人々のあいだには大坊主討つべしの声が高まっていた。 下間頼俊が統治する足羽郡でも、足羽郡東郷安原村の鑓講の人々が蜂起し、深雪の中を足羽郡司下間和泉守(頼俊)を討つべく進撃したが、下間頼俊みずからこれを討伐している。

頼俊の最期

天正3年(1575年)夏、織田の勢力が越前に進攻すると、下間頼俊は、父・下間頼照とともに討ち取られた。

脚注

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参考文献

加能郷土辞彙 日置 謙

加能郷土辞彙には以下のように記載されている。 「織田信長の来攻するに及び遁走して殺害せられた。信長公記には(下間)頼照は、下間和泉(頼俊)と共に山林に隠れ居たるを、朝倉孫三郎景健が発見して誅戮した。」

『越州軍記』にみる越前一向一揆   Ⅱ「一揆持」体制に対する抵抗

『福井県史』通史編2  第四章 戦国大名の領国支配   第五節 越前一向一揆     四 織田信長と越前一向一揆       一揆支配の実現

『福井県史』通史編3   第一章 織豊期の越前・若狭    第一節 織田信長と一向一揆      二 一向一揆の越前支配       本願寺の越前支配       一揆の内部対立と支配の強化       一揆統制と一揆蜂起

「一揆が国をほぼ制圧した天正二年六月以降、鑓講・十七講という門徒の組織がみえ始める。  一揆勢は、坊主たちが百姓を下部や下人のごとく扱うこと、および一揆が切り取った国を本願寺派遣の「上方ノ衆」がもっぱら支配することに不満をもち、十七講の人々のあいだには大坊主討つべしの声が高まった。  天正二年十一月十九日に吉田郡河合荘を中心とする一揆三〇〇〇人が蜂起し、下間頼照の本拠である坂井郡豊原寺の攻撃に向かったが、頼照配下の若林長門守の率いる軍勢に阻まれ大敗した、次いで十二月には足羽郡東郷安原村の鑓講の人々が蜂起し、深雪の中を足羽郡司下間和泉守を討つべく北庄に進んだが、多くの死者を出して敗退している。」

『越州軍記』にみる越前一向一揆 (1)反対する国内勢力 まず本願寺門徒と考えられる勢力が支配に反発している。 『越州軍記』によれば、十七講の衆が大坊主を誅罰しよう としたところ、本覚寺がこれを察知して講主の志伊の林兵衛という者、及び河合の八杉、本庄の宗玄らを、先手を打っ て討伐したという(四・従大坂越前守護職居置ル事) 。また河合庄の一揆が下間頼照に対して蜂起したが、頼照は若林 長門守らを派遣し討伐し、また鑓講衆も下間和泉守を討伐せんと蜂起したが、やはり下間和泉守自身の手で討伐された と記している(同上) 。

関連項目


下間頼俊(しもつま らいしゅん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「下間頼俊(しもつま らいしゅん)」の解説

通称和泉守越前足羽郡司。後に下間頼照とともに越前宗徒の裏切りによって首を討たれる

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