上原しん
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上原 しん(うえはら しん、1827年〈文政10年〉- 1855年4月18日〈安政2年3月2日〉)は、江戸時代後期(幕末)の日本の女性。儒学者・上原立斎の娘で、同じく儒学者で小浜藩士の梅田雲浜の最初の妻。
近江国高島郡(現・滋賀県高島市)出身[1]。本姓は上原、名は信子ともいう。[要出典]
来歴
18歳の時に[要出典]梅田雲浜と結婚[1][2]。これは父の立斎が雲浜の人物を見込んで嫁がせたものであった[1]。
結婚後は夫の尊皇攘夷活動を支える[2]。しかし、赤貧の中で2児を残して安政2年3月2日病死した。数え年29歳没[2]。
雲浜はその貧困のありさまを詩で「妻は病床に臥し,児は飢えに泣く」と詠んだ。しんは「樵りおきし軒のつま木も焚きはてゝ拾ふ木の葉のつもる間ぞなき」という歌を残している。[要出典]
脚注
参考文献
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- 佐伯仲蔵『梅田雲浜遺稿並伝』有朋堂書店、1929年
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