275号線 (ポーランド)とは? わかりやすく解説

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275号線 (ポーランド)

(ヴロツワフ_-_グーベン線 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 05:05 UTC 版)

ヴロツワフ - グーベン線
基本情報
現況 部分廃止
ポーランド
起点 ヴロツワフ中央駅
終点 グーベン駅
路線記号 273, 275
開業 1844年10月19日
全通 1875年5月15日
路線諸元
路線距離 198 km
軌間 1,435 mm
線路数 単線、複線
複線区間 ヴロツワフ - ミウコヴィツェ
電化区間 ヴロツワフ - ミウコヴィツェ
電化方式 3,000 V(直流
最高速度 160 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
ビトム - ヴロツワフ線
0.0 ヴロツワフ中央駅
4.9 ヴロツワフ・ムホブル
カレティ - ヴロツワフ線
ヴロツワフ - シュチェチン線
ヴロツワフ - ヴィトクフ線
6.9 ヴロツワフ・ノヴィ・ドヴール
9.5 ヴロツワフ・ジェルニキ
13.6 ヴロツワフ・レシュニツァ
20.7 ムロズフ
24.3 ミエンキニア
29.6 プシェドモシュツィエ・シュヴィエンテ
33.8 シュロダ・シュロンスカ
旧市街線
旧港方面、旧MS線
42.7 マルチツェ
nach Jawor
Kleinbahn AG Jauer–Maltsch
旧ヴォウーフ - マルチツェ線
52.2 シュチェドシコヴィツェ
55.0 ヤシュコヴィツェ・レグニツキエ
カトヴィツェ - レグニツァ線
レグニツァ迂回線
65.1 レグニツァ
von Ścinawa
L-Z線, G-L線
70.2 イェジエジャニ
レグニツァ迂回線
74.6 ミウコヴィツェ
ミウコヴィツェ - ヤシェン線
81.8 ゴリシュフ
ロキトキ - ホイノーヴ線
旧ザミェニツェ
88.9 ロキトキ
T-R線、K-R線
96.0 モドワ
100.5 ヴィジュボヴァ・シロンスカ
106.1 ストゥジアンカ
レシュノート・グルネ - ボレスワヴィエツ線
113.1 レシュノ・グルネ
128.3 マウォミツェ
ウッチ - フォルスト線
イェレニア・グーラ - ジャガン線
139.5 ジャガン
ウッチ - フォルスト線
145.3 旧オイルシュイニェツェレ
旧ジオトニック
Nowogród Bobrzański方面
155.8 旧ビェニウフ
Žary方面
159,3 旧ビェトジュイホヴィツェ・ドルネット
ミウコヴィツェ - ヤシェン線
167.2 旧ヤシェン
旧ルブスコ - ムスカウ線
172.8 旧ルブスコ
旧Krosno Odrazanskie方面
176.5 旧ミェネラルクフ
184.8 旧ヤシェニツァ・グビニスカ
189.7 ギエンビツェ・グビニスケキエ
旧Schlagsdorf方面
196.9 旧グビネク
ナイセ川, ↑ポーランド/ドイツ
H-G線、F-G線
200.0 グーベン
G-Zb線B-G線

275号線(ポーランド語: Linia kolejowa nr 275)またはヴロツワフ - グーベン線(ヴロツワフ - グーベンせん、ポーランド語: Linia kolejowa Wrocław–Guben)はポーランドドルヌィ・シロンスク県の中心都市ヴロツワフドイツブランデンブルク州グーベンを結ぶ鉄道路線であった。この路線はニーダーシュレジエン=マルク鉄道ドイツ語: Niederschlesisch-Märkische Eisenbahn, NME)のポーランド路線として1945年までドイツ国営鉄道により運営された。現在ルブスコ - グーベン間およびジャガン - ビェニェフ間は廃止されている。

歴史

ヴロツワフ市のマルクト駅 (1880年)

1843年11月27日にNMEがプロイセン政府の投資で設立されて、フランクフルト - ブレスラウ(現在ヴロツラフ)間の鉄道建設がその目的であった。ブレスラウではオーバーシュレジエン鉄道会社(Oberschlesische Eisenbahn AG, OSE)が鉄道をすでに運営していた。1844年10月19日にブレスラウ - リークニッツ(現在レグニツァ)間が開通されたが、当時大部分の経路はまだ確定されなかった[1]。1845年10月1日リークニッツ - ブンツラウ(現在ボレスワヴィエツ)間はミウコヴィツェ経由で開通された。残余区間は1846年9月1日に通行可能となった。

1847年9月1日NMEのコールフルーツトイレ-ケルリッツ線およびザクセン=シュレジエン鉄道会社の本線(ゲルリッツ - ドレスデン線)が同時に開通されて、ブレスラウはドレスデン、ライプツィヒ、マグデブルク、ハノーファーなどと鉄道で連続的に連結された。同年10月ブレスラウの鉄道網はOSE鉄道の開通でクラーカウ(現在クラクフ)まで、1848年9月にオーデルベルク(現在ボフミーン) まで至った。1852年1月1日にNMEはプロイセン王立鉄道に引き受けられて、ニーダーシュレジエン=マルクト管理局として運営されていた。1853年秋に急行列車がベルリン-ブレスラウ間に導入された。

1875年5月15日にはヤシェン - ジャガン - レグニツァ間の93 kmの複線の短絡線が開通した。その結果、現在のミウコヴィツェ - ヤシェン線がNMEの本線から分離された。1889年長距離列車「オリエント列車」がこの路線の経由でベルリン - ブダペスト間に新設された。

1920年にベルリン - ブレスラウ線は新生のドイツ国営鉄道に引き受けられて、鉄道運営の構造は多方面で変遷した。1936年高速気動車はベルリン - ボイテン (現在ビトム)に導入されて、508 km区間をおよそ4時間20分で走行した。また1938年以来、ベルリン - ウィーン間に査証不要の回廊列車はこの路線を経由して走行した。ナチスドイツのポーランド侵攻以後、1939年10月にベルリンとポーランド総督府領の首都クラクフの間に長距離列車が追加で投入された。

運行形態

  • ユーロシティー: クラクフ - カトヴィツェ - オポレ - ヴロツワフ - レグニツァ - ヴェングリニェツェ - コットブス - ベルリン - シュテンダール - リューネーブルク。
  • D1: ヴロツワフ - レグニツァ - ボレスワヴィエツ - ヴェングリニェツェ - ルバン(シロンスク)[2]
  • D25: ヴロツワフ - レグニツァ - ジャガン - ジャリ[2]

脚注

  1. ^ Klee (1982) pp. 65 f.
  2. ^ a b Rozkłady jazdy pociągów” (ポーランド語). Koleje Dolnosląskie. 2023年7月24日閲覧。

参考文献

外部リンク




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