ロベール・ジョンケとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロベール・ジョンケの意味・解説 

ロベール・ジョンケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/02 02:39 UTC 版)

ロベール・ジョンケ
名前
愛称 le heros de Highbury
ラテン文字 Robert Jonquet
基本情報
国籍 フランス
生年月日 1925年5月3日
出身地 パリ
没年月日 2008年12月18日(満83歳没)
身長 176cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1945-1960
1960-1962
スタッド・ランス
RCストラスブール
代表歴
1948-1960 フランス 58 (0)
監督歴
1961-1964
1964-1967
1980-1981
RCストラスブール
スタッド・ランス
スタッド・ランス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj


ロベール・ジョンケRobert Jonquet1925年5月3日 - 2008年12月18日)は、フランスの元サッカー選手。ポジションはDF(センターバック)。

経歴

ジョンケは1945年にスタッド・ランスで選手経歴を開始した。ランスではアルベール・バトーレイモン・コパジュスト・フォンテーヌらと共に中心選手として活躍し、リーグ優勝5回(1949年、1953年、1955年、1958年、1959年)、カップ優勝2回(1950年、1958年)、UEFAチャンピオンズカップ準優勝2回(1956年、1959年)に貢献した。晩年は2部リーグのRCストラスブールでプレーを続け、1961年に1部リーグ昇格に貢献すると、翌1962年に現役を引退した。

フランス代表としては、1948年4月4日のイタリア戦で代表デビュー。1951年10月にロンドンで行われたイングランドとの親善試合において顕著な活躍をみせ2-2の引分けに持ち込むと、翌日の新聞はle heros de Highburyハイベリーの英雄)と賞賛した[1] 。またワールドカップには、1954年のFIFAワールドカップ・スイス大会、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会の2大会に出場した。

1958年のスウェーデン大会では5試合に出場し同国のベスト4進出に貢献したが、準決勝のブラジル戦では2-5で敗れ[2]、この試合の35分にブラジルのババと交錯した際に腓骨を負傷した影響もあって3位決定戦は欠場した。

その後、同年9月18日のイタリア戦[3]で復帰を果たすと、は1960年7月6日の欧州ネイションズカップ準決勝、チェコスロバキア[4]、を最後に代表から退くまで国際Aマッチ58試合に出場し、9試合で主将を務めた。

引退後は指導者の道へ進み、古巣のRCストラスブールやスタッド・ランスで監督を務めた。

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロベール・ジョンケ」の関連用語

ロベール・ジョンケのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロベール・ジョンケのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロベール・ジョンケ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS