ロバート・ワイリー (画家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 04:55 UTC 版)
ロバート・ワイリー
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Robert Wylie | |
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ロバート・ワイリー作「ブルターニュのまじない女」 (1872)
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生誕 | 1839年ころ イギリス、マン島 |
死没 | 1877年2月4日 フランス、ポン=タヴァン |
ロバート・ワイリー(Robert Wylie、1839年ころ - 1877年2月4日)は、イギリス生まれのアメリカ合衆国の画家である。1863年ころからフランスに留学し、多くの画家たちが集まったブルターニュのポン=タヴァンで活動した。
略歴
アイリッシュ海のマン島で生まれたが、幼いころに家族とアメリカ合衆国に移住した。フィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーで学び、、後に学芸員を務めた。1860年にフィラデルフィア・スケッチ・クラブの設立に貢献した。はじめ彫刻家として活動したが絵画に転じたが、初期の作品はほとんど知られていない[1]。
1863年に、ペンシルベニア美術アカデミーの理事会の決定によりはワイリーをフランスに留学し、彫刻家のアントワーヌ=ルイ・バリーに学び、クロード・モネらの有名な画家たちも学んだパリの私立の美術学校「アカデミー・シュイス」で学んだ。
同時期にフランスで活動していたアメリカ人画家のヘンリー・ベーコン(Henry Bacon: 1839–1912)に勧められて1864年にブルターニュのポン=タヴァンを訪れ[2]、そこを気に入り、展覧会のためにパリに戻る以外は1877年に亡くなるまでポン=タヴァンで活動した。ブルトン語も学び、ロバート・ワイリーの活動がメアリー・カサットやトマス・エイキンズ、フレデリック・アーサー・ブリッジマン、トーマス・アレキサンダー・ハリソンといった若いアメリカ人画家たちをポン=タヴァンに引き付けることになった。
ブルターニュの人々を描いた風俗画を描いた。1872年にパリのサロンで2等のメダルを受賞した。
作品
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郵便配達人 (1869)
ペンシルベニア美術アカデミー -
ポン=タヴァンのモデルたち (c.1870)
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ポン=タヴァンの女性 (1871)
参考文献
- ロバート・ワイリー_(画家)のページへのリンク