ロザス包囲戦 (1719年)とは? わかりやすく解説

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ロザス包囲戦 (1719年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 15:13 UTC 版)

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ロザス包囲戦
戦争四国同盟戦争
年月日1719年10月22日 - 11月17日
場所スペイン王国カタルーニャロザス
結果:スペインの勝利
交戦勢力
スペイン王国 フランス王国
指導者・指揮官
ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズ
四国同盟戦争

ロザス包囲戦(ロザスほういせん、カタルーニャ語: Setge de Roses)は四国同盟戦争中の1719年10月22日から11月17日にかけて、フランス軍がカタルーニャロザスを包囲した戦闘。

背景

1719年、ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズ率いるフランス軍はバスク州に侵攻した。侵攻の初期にはフランス軍は抵抗を受けなかったが、すぐに撤退を余儀なくされた。同年10月、イギリス艦隊はビーゴポンテベドラを占領(ビーゴ占領も参照)、オーストリア軍もメッシーナを包囲の後落とした。フランス軍は8月31日にラ・セウ・ドゥルジェイを占領した。

包囲

ベリック公は歩兵40個大隊と騎兵60個中隊を率いて10月22日にラ・ブールー英語版から進軍してカステリョー・ダンプリアスに到着、軍営を設けて[1]ロザス砦英語版を包囲した[2]

艦隊は11月1日に到着したが[1]、悪天候により輸送船の到着が遅れ、11月6日には補給と弾薬を載せた船が沈没した始末となった[1]。結局、ベリック公は17日に包囲を解かざるを得なかった[3][4]

影響

バリュス英語版ペレ・ジョアン・バルセロスペイン語版(「カラスレット」(Carrasclet)とも呼ばれる)の攻撃を撃退したが、これはカタルーニャ警察英語版の目の敵であるヴェシアナ家(Veciana)の民兵隊のおかげだった[5]。一方、フランセス・ベルニクカタルーニャ語版の派遣隊はラ・リャクナ英語版ヨゼプ・アントン・マルティカタルーニャ語版に捕虜にされた[6]。秋に戦役が終わると、フランス軍はさらなる戦役に備えるためにルシヨンへと戻った。スペインのヴェルボーム侯爵スペイン語版は1720年1月22日にラ・セウ・ドゥルジェイを包囲、戦争終結の数日前である1月29日に同地をフランス軍から奪回した[7]

脚注

参考文献




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