レヒフェルトの勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:57 UTC 版)
「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「レヒフェルトの勝利」の解説
955年、国内に侵入したマジャル人たちはまだ撤退しておらず、レヒ河畔のアウクスブルクを攻撃する。軍勢を率いてオットー1世は戦いを挑むが、戦局は不利であった。蟄居処分中であった女婿コンラート赤毛公が救援に駆けつけたことで事態は好転し、オットー1世はマジャル人達を撃退することに成功する。コンラート赤毛公はこの激戦の中で戦死したが、このレヒフェルトの戦いの勝利でオットー1世は「キリスト教国を異教徒マジャルの禍から救った聖なる戦士」として称えられ、ヨーロッパ中の注目を浴びるようになる。帝冠への大いなる一歩であった。
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