リチャード・L・ダッチスワとは? わかりやすく解説

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リチャード・L・ダッチスワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 18:51 UTC 版)

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Richard L. Duchossois
生誕 (1921-10-07) 1921年10月7日(100歳)
イリノイ州シカゴ
教育 モルガンパークアカデミー, ワシントン・アンド・リー大学
職業 ダッチスワグループ会長
取締役会 ダッチスワグループ, TCMC, Inc., 全米サラブレッド競馬協会
配偶者 1) Beverly Thrall
2) Judi
子供 Craig J., Dayle, Bruce, Kim
受賞 ブロンズスターメダル2回,
パープルハート章,
アメリカンジョッキークラブゴールドメダル,
ソヴリン賞特別賞(1988),
ダービー卿賞,
エクリプス賞特別賞 (2003)
アメリカ競馬殿堂 (2019)

リチャード・L・"ディック" ダッチスワRichard L. "Dick" Duchossois1921年10月7日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。イリノイ州エルムハーストに本社を置くダッチスワグループの創設者兼会長であり、アーリントンパーク競馬場の元オーナー、および鉄道車両製造や軍需産業で知られている。

青年期と軍歴

ダッチスワはモーガンパーク軍事アカデミーを卒業した後、ワシントン・アンド・リー大学に通学。その後第二次世界大戦に突入すると兵役志願した。ダッチスワはヨーロッパにおいて5つの作戦に参加し、そのうちには第610駆逐戦車大隊の指揮官として参加したノルマンディー上陸作戦も含まれていた。ダッチスワはアイヒシュテット地域の軍事知事を務め、1946年に退役する前に少佐の階級を得ている[1]。また、モーゼル川での戦闘で負傷したことでパープルハート章を授与されている。

家族

ダッチスワは高校の恋人、ビバリー・スレールと結婚した[1]

息子のクレイグ・J・ダッチスワは、ダッチスワグループの最高経営責任者であり、アメリカ海軍兵学校の訪問者委員会の議長を務めている。

経歴

ダッチスワは第二次世界大戦後にスラール・カー・マニュファクチャリング社に入社し、1952年にそのCEOに就任した[2]。 1980年、同社はチェンバレン・マニュファクチャリング社を買収し、ダッチスワが会長に就任した。ダッチスワは親会社の会長職を引き続き務めたが、CEOのポジションは息子に譲っている。

同社は1983年にダッチスワ・インダストリィ(DII)に社名を変更した。またこのときダッチスワはアーリントンパーク競馬場を購入した [2]。2000年、アーリントンパークはチャーチルダウンズ社と合併し、DIIはその取締役会に複数の議席を保持された[3]

彼はまた、1983年から1991年までアイオワ州デモインテレビ局KDSM-TVを所有していた。

受賞歴

ダッチソワは第二次世界大戦での兵役でパープルハート章のほか、と2度のブロンズスターメダルを受賞している[4]

ダッチスワの得た賞には競馬に関するものも多く、1986年にはアメリカンジョッキークラブのゴールドメダル、1988年にはカナダのジョッキークラブからのソヴリン賞特別賞が贈られている。そのほかにもイギリスの競馬作家およびレポーター協会から贈られたダービー卿賞、アメリカ全国の競馬記者から贈られるジョー・パーマー賞などが含まれる。2003年にはエクリプス賞特別賞を受賞、その同年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館の選ぶ「ピラー・オブ・ザ・ターフ」の一員として選出された[5]

後年、ダッチスワはワシントン・アンド・リー大学から名誉法学博士号を取得した。 また2015年にはワシントン賞を授与されている。このほか、2014年には妻のジュディとともに、慈善活動の功績でシカゴロヨラ大学からソード・オブ・ロヨラ賞を受賞している。

関連項目

脚注

  1. ^ a b Claire Novak (2014年8月11日). “Man Behind the Million”. Blood Horse. 2021年3月10日閲覧。
  2. ^ a b Arlington owner Duchossois, at 90, fights cancer and for his track http://www.dailyherald.com/article/20111009/news/710099904/
  3. ^ 30 years after Arlington Park fire, Richard Duchossois is still at the track http://www.chicagobusiness.com/article/20150702/ISSUE09/150709960/30-years-after-arlington-park-fire-richard-duchossois-is-still-at-the-track
  4. ^ Dick Duchossois Returns to Normandy to Honor D-Day's 70th Anniversary”. DNAinfo Chicago. 2015年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月10日閲覧。
  5. ^ Sixteen to join National Museum of Racing Hall of Fame”. The Post-Star (2019年4月22日). 2020年8月11日閲覧。

外部リンク



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