ラーコーツィ家とは? わかりやすく解説

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ラーコーツィ家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/03 07:37 UTC 版)

ラーコーツィ・フェレンツ2世

ラーコーツィ家ハンガリー語:Rákóczi / Rákóczy)は、13世紀から18世紀まで続いたハンガリー貴族の家系。

歴史

一族に富と権力をもたらしたのは1607年にトランシルヴァニア公国の選挙君主となったラーコーツィ・ジグモンドである。17世紀の数十年間、ラーコーツィ家はハンガリー王国で最も裕福な上級貴族であった。一族中で最も有名なのは、反ハプスブルクを掲げたハンガリー独立戦争(1703年 - 1711年)の指導者となったラーコーツィ・フェレンツ2世である。フェレンツ2世は反乱中、ハンガリー王国等族連盟の統治首長(fejedelem)、およびトランシルヴァニア公に選ばれた。反乱が失敗に終わった後、ラーコーツィ家の膨大な財産は没収された。一族はフェレンツ2世の息子ジェルジ(hu:Rákóczi György (1701–1756))の死によって絶えた。

伝説的なサンジェルマン伯爵は、一部の人々からラーコーツィ・フェレンツ2世の息子だと信じられている。

その他

ビハリ・ヤーノシュによって作曲され、エクトル・ベルリオーズによって『ファウストの劫罰』に引用された「ラーコーツィ行進曲」は、一族の物語に言及している。この行進曲はフランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」第15番にも引用された。

主な人物

以下の人物が有名である。

  • ラーコーツィ・ジグモンド(? - 1608年)…トランシルヴァニア公(在位1607年 - 1608年)
  • ラーコーツィ・ジェルジ1世(1591年 – 1648年)…トランシルヴァニア公(在位1630年 – 1648年)、ジグモンドの息子
  • ラーコーツィ・ジェルジ2世(1621年 - 1660年)…トランシルヴァニア公(在位1648年 - 1657年)、ジェルジ1世の息子
  • ラーコーツィ・フェレンツ1世(1645年 - 1676年)…トランシルヴァニア公(父の共同統治者として)、ジェルジ2世の息子
  • ラーコーツィ・フェレンツ2世(1676年 - 1735年)…トランシルヴァニア公(在位1704年 - 1711年)、フェレンツ1世の息子

系図

脚註

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参考文献

関連項目




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