メルセデス・ベンツ CLK-LMとは? わかりやすく解説

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メルセデスベンツ・CLK-LM

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/02/23 05:54 UTC 版)

メルセデスベンツ・CLK-LMは、メルセデス・ベンツAMGとが1998年ル・マン24時間レース及びFIA GT選手権参戦用に開発した、FIA GT1/LM GT1規定のレーシングカー。

概要

前年のCLK-GTRの発展型であるが、エンジンは5リットルV型8気筒に変更され、ラジエターもフロントからサイドへ移された。その為CLK-GTRと比べボンネットが低く薄くなっている所が特徴である。また全体の設計が改められ、車体全体が低く、薄さが一際強調されたスタイルとなっている。CLK-GTR同様GT1ホモロゲーション取得用のロードバージョンが作られたが、市販はされなかった。

ル・マン参戦を公式に発表したのは予備予選も終った5月になってからで、ル・マン本番がデビュー戦となった。予選ではトヨタを抑えポールポジションを獲得するも(もう1台も3位)、決勝では2時間で2台ともリタイヤに終る。FIA GT選手権では第3戦ホッケンハイムで、CLK-GTRに換わりデビューし優勝。この後最終戦(第10戦)ラグナ・セカまで全てのレースで優勝し、2年連続でチーム(AMG)とドライバーズ(クラウス・ルドヴィク/リカルド・ゾンタ)のダブルタイトルを獲得する。なおプライベーターには供給されておらず、ワークスチームのみの供給に留まった。

ロードカーの製作が必要だったGT1規定のマシンはこれが最後で、翌年はLM GTP規定の完全なるプロトタイプレーシングカーCLRに発展することとなる。

なお1999年の全日本GT選手権にMTCIチームがCLK-LMを購入してエントリーする事を表明していた。しかし、マシン購入の段になってインポーターとAMGの間でトラブルが発生した為(今もその原因は藪の中と言われる)、AMG側が車輌の譲渡に対して難色を示し、態度を硬化させた事から、結局エントリーを断念する事となった。もっとも、MTCI自体も後に倒産した為、仮にMTCIがCLK-LMを購入できたとしてもチームとしてやって行けたのかという点には疑問が残る。


メルセデス・ベンツ・CLK-LM

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 02:55 UTC 版)

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メルセデス・ベンツ・CLK-LM
先代 メルセデス・ベンツ・CLK-GTR
後継 メルセデス・ベンツ・CLR
主要諸元[1]:110
全長 4900 mm
全幅 1999 mm
全高 1119 mm
ホイールベース 2670 mm
エンジン M119 5 L V型8気筒
トランスミッション 6速 シーケンシャル
重量 940 kg
タイヤ ブリヂストン
主要成績
初戦 1998年のル・マン24時間レース
初勝利 1998年 FIA GT選手権 第3戦
最終戦 1998年 FIA GT選手権 第10戦
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メルセデスベンツ・CLK-LMは、メルセデス・ベンツAMG1998年ル・マン24時間レース及びFIA GT選手権参戦用に開発した、FIAグループGT1規定のグランドツーリングスポーツカーである。

概要

Mercedes-Benz CLK LM フロント

前年のCLK-GTRの発展型であるが、GT選手権用エンジンはグループCに使われていたM119エンジンからターボを取り除いた5リットル V型8気筒自然吸気エンジンに変更され[2]、ラジエターもフロントからサイドへ移された[1]:111。そのためCLK-GTRと比べボンネットが低く薄くなっている部分が特徴である。また全体の設計が改められ、車体全体が低く、薄さが一際強調されたスタイルとなっている。CLK-GTR同様GT1ホモロゲーション取得用のロードバージョンが作られたが、市販はされなかった。

ル・マン参戦を公式に発表したのは予備予選も終った5月になってからで、ル・マン本番がデビュー戦となった。予選ではトヨタを抑えポールポジションを獲得するも(もう1台も3位)、決勝では2時間で2台ともリタイヤに終る[1]:112。FIA GT選手権では第3戦ホッケンハイムで、CLK-GTRに換わりデビューし優勝[1]:112。この後最終戦(第10戦)ラグナ・セカまで全てのレースで優勝し、2年連続でチーム (AMG) とドライバーズ(クラウス・ルートビッヒ/リカルド・ゾンタ)のダブルタイトルを獲得する[1]:110, 112。なおプライベーターには供給されておらず、ワークスチームのみの供給に留まった。

ロードカーの製作が必要だったFIA規定のグランドツーリングスポーツカーはこれが最後で、翌年はフリーフォーミュラLMGTP (メルセデス・ベンツ・CLR) に発展することとなる。

なお1999年の全日本GT選手権にMTCIチームがCLK-LMを購入してエントリーすることを表明していた。しかし、マシン購入の段になってインポーターとAMGの間でトラブルが発生したため、AMG側が車輌の譲渡に対して難色を示し、態度を硬化させたことから、結局エントリーを断念した。

脚注

  1. ^ a b c d e f 「現代に生きる銘車たち 19 Mercedes Benz CLK-LM」『Racing on』第469巻、三栄書房、2014年3月。
  2. ^ ル・マン24時間仕様は6リットル[1]:111




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CLRの開発詳細は「メルセデス・ベンツ・CLR」を参照基本的には前々年のCLK-GTR、前年のCLK-LMを踏襲した車両だが、ロードカーにすることを考慮しなくてよくなったため、ボディ形状は空力を最優先したものになり、ル・マンのみで走らせる車両であるため、オーバーハングは1,200mmという非常に長いものとなった。しかし、空力を優先した結果、ピッチングを抑えるためのサイドダンパーを装着するスペースがなくなってしまい、前年までは装着していたそれを取り外したと言われている。また、空力の検証は本来の風洞施設を使えなかったため、シュトゥットガルト大学の風洞を借りて行われた。この風洞はローリングロードを持たない古いタイプのもので、車高を下げた時の走行データを取れていなかった。最初の車両は1999年2月に完成し、カリフォルニア・スピードウェイ、ホームステッド=マイアミ・スピードウェイといったオーバルトラックや、ホッケンハイムリンク、テクニカルなマニクールといったヨーロッパの高速サーキットで、走行距離としては合計で35,000km近くになる入念なテスト走行が行われた。ル・マンでは、予選前日の水曜に行われた練習走行の時点でピッチングの症状が出ていたことをチームは認識していたが、テスト走行時には安定していたことで、こうした不安定な挙動の兆候は軽視された。CLRの事故がその後の技術規則に及ぼした影響
38% |||||





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