メキシコ湾流_(美術)とは? わかりやすく解説

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メキシコ湾流 (美術)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 16:38 UTC 版)

『メキシコ湾流』
英語: The Gulf Stream
作者ウィンスロー・ホーマー
製作年1899年
種類油彩、カンヴァス
寸法71.5 cm × 124.8 cm (28.1 in × 49.1 in)
所蔵メトロポリタン美術館ニューヨーク

メキシコ湾流』(メキシコわんりゅう、: The Gulf Stream)は、アメリカ合衆国の画家ウィンスロー・ホーマー(1836-1910)の油彩画である。1899年から制作が始められ、1900年にフィラデルフィアペンシルベニア美術アカデミーの展覧会に出展した後、修正が行われ、1906年にニューヨークナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に出展され、1908年にニューヨークのメトロポリタン美術館に買い上げられた。ウィンスロー・ホーマーの晩年の代表作の一つとされる。

ウィンスロー・ホーマーはアメリカ合衆国で商業美術家や雑誌の挿絵画家として働いた後、1867年にフランスを旅し、バルビゾン派の画家に影響を受けた。アメリカで農村の風景や農民の姿を描いているが、1870年代に『風が強まる』のような海上の船を題材の作品も描いている。1881年から1882年はイギリの北海に面する漁村で過ごし、海岸の絵を多く描いた。カリブ海を最初に航海したのは1885年で、その後何度かカリブを旅し「メキシコ湾流」の習作として位置付けられるボートやサメなどのスケッチや水彩画が制作した。強盗から逃れるためにボートで海に逃れ漂流した黒人漁師の話に着想を得て描かれた作品とされる。

背景

ホーマーはいくたびもメキシコ湾流を横切った。彼の1885年のカリブ海への最初の旅行は、その年の日付があるいくつかの関連する諸作品の霊感を与えたように思われ、それらの作品には、マストを奪われたボートの鉛筆デッサン、大きな水彩画『遺棄船(サメ)』(『The Derelict (Sharks)』)、そしてボートの前部のより大きな水彩画『「メキシコ湾流」の習作』(『Study for "The Gulfstream"』)もふくまれている[1]。よりのちの水彩の習作が『メキシコ湾流』(『The Gulfstream』、1889年)で、そこでは航行不能になったボートが、黒人船員と殻竿(からざお)を打つようにばたばたしているサメをふくんでいる。そのうえ、ほかの関連する水彩画がある。1885年の『サメ漁』(『Shark Fishing』)は、のちに1889年の『メキシコ湾流』のために充てられ[2]、そして1899年の水彩画『ハリケーンのあとで』(『After the Hurricane』)では、ひとりの人物が浜に上げられたボートの横に意識不明で横たわり、自然に対する人間の水彩画の物語のフィナーレをあらわしている[3]

『ハリケーンのあとで』 ホーマー 1899年 嵐ののち浜辺に打ち上げられた男を描く。

この一連の水彩画と『メキシコ湾流』そのものの、別の霊感であるかもしれないのは、『マケーブの呪い』(『McCabe's Curse』)で、これは英国の船長マケーブのバハマでの話で、彼は1814年に窃盗団にあい、近くの島に到着することを期待して小型のボートを賃借りするが、しかし嵐にあい、のちにナッソーで黄熱で死亡した。ホーマーは、物語の説明を保存し、そして旅行案内の中にそれを貼り付けた[2]

1898年12月と1899年2月とのあいだのナッソーとフロリダへの旅行は、その最後の絵の直前であった[4]。ホーマーは1899年9月までに絵の制作に着手し、そのとき彼は書いた:

「わたしはナッソーで過ぐる冬に3か月間、水彩画を描き、そしてちょうどいま、習作のいくつかから絵を整え始めたところである。」[5]

年代記的には、ホーマーの最晩年の10年間の一連の主要な諸作品の最初、『メキシコ湾流』は、その世紀の最後の年、父の死亡の年に描かれ、そして彼の放棄あるいは傷つきやすさの感覚をあらわにしていると見られてきた[4]

展示と反応

1900年にホーマーは『メキシコ湾流』をペンシルベニア美術アカデミーで展示するためにフィラデルフィアに送り、そしてのちにその年に返却されたのち、彼は「わたしはそれがペンシルベニアにあったとき以来、絵に描いてきて、そしてたいへんよくそれを改良した(いぜんよりも深海水についてはさらに)。」と書いた[6]。それどころか、絵の初期の写真との比較でわかるが、ホーマーは海洋を描き直したのみならず、右舷の舷縁をこわすことで変え、帆と喫水線ちかくに赤をさっとひと筆、付け加え、ボートの名(「アンナ - キー・ウェスト」、Anna – Key West)をはっきりと判読可能にし、そして上左の水平線に船を描いた[6] - これは作品の荒廃感をやわらげるためかもしれない。彼はそれからピッツバーグカーネギー博物館で絵を展示し、そしてそのかわりに4000ドルを求めた[6]

1906年に『メキシコ湾流』はナショナル・アカデミー・オブ・デザインで展示され、そしてアカデミーの審査委員全員はメトロポリタン美術館に絵を購入するように嘆願した[7]。作品の新聞時評は、さまざまであった[7]。それは、ホーマーのいつもの作品以上にメロドラマチックであると見られた。フィラデルフィアの時評者は、見る者が絵を笑っていたことに注意し、場面を「サメの群れが滑稽な感じで自分のまわりでワルツを踊っている一方でボートに横たわる裸の黒人」と評して、絵を「微笑んでいるサメら」("Smiling Sharks")と呼んだ。別の同時代の批評家は、『メキシコ湾流』は「[ホーマーの]最高のキャンバスにはめったに見られない、関心の或る散漫を表現している」と書いた[8]。同美術館は絵を、同年に買った。

解釈と影響

ホーマーの『メキシコ湾流』の意図は、不透明である。絵は、「ことに不可解な、じれったいエピソード、未解決な謎の領域を永遠にただよう海の判じ物」と評されている[9]。ブライソン・バローズ(一時、メトロポリタン美術館の学芸員であった)はこれが「もし望むなら偉大なアレゴリーの構図をとっている」ことに注意した[10]。そのドラマは、ロマンチックでヒロイックなところがあり、ホーマーの初期の図解的な諸作品を思わせる、逸話的な細部に取り囲まれた、禁欲的に運命にまかせた男である[6]

見る者が物語の説明をもとめたとき、ホーマーはかなり怒ってこたえた:

「残念ですが、わたしは、あらゆる描写を必要とする絵を描きました....わたしはメキシコ湾流を「10たび」(ten times)、横切り、そしてそれについてある程度は知っているはずです。ボートとサメは、取るに足らぬ部外の問題です。『それらは、ハリケーンによって海に吹き飛ばされているのです。』これらの淑女らには、いまは焦がされ、茫然としている不運な黒人は、救助され友人らのもとと自宅に戻され、そしてその後ずっと幸福に暮らすであろうことを告げることができます。」[11][12]

ジョン・シングルトン・コプリー(John Singleton Copley)『ワトソンとサメ』1778年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー キャンバスに油彩。

この絵は、ひとつかみの19世紀のドラマチックな海洋絵画にのみならず、ジョン・シングルトン・コプリーの1778年の作品『ワトソンとサメ』(Watson and the Shark)にもそれとなく言及している[4]。『American Visions: The Epic History of Art in America』において、ロバート・ヒューズ(Robert Hughes)は、ホーマーの絵をコプリーのそれと比較している。コプリーのサメのあごは、形が異なり、そして十中八九、受け売りの話によるのにたいして、ホーマーのは - 題材にたいする美術家の親密さのおかげで - サメの解剖学的構造を正確にとらえている。第二に、コプリーの版では、救助は切迫している:水平線は近くそして明るい色調で、そして港内の、十中八九ドックにはいっている、多くのボートが背景に見える。ホーマーの絵は、円を描いて泳いでいるサメ、折れたマスト、ひとりの人影、ぼうっと見える水上の竜巻、そして外海があって、放棄感を与える。遠く左にある船はあまりに隔たっているので、社会は、存在しながらも、完全に到達不可能であると思わせるほどである。

それは見る者に、「これほど近いのにこれほど遠い」的な状況を贈る。これら2つの絵は、直接性においてもまた対照をなす。『ワトソンとサメ』には、不断の運動がある:前進するボート、やすの突き下ろし、犠牲者に手を差し伸べる2人の男性、そしてさいごに、キャンバスから延び広がるサメ。ホーマーの絵では、場面はより静的である:サメらは、波間の谷でだらだらするボートのまわりをゆっくりと泳いでいるように見える。

ドラクロワの『ダンテの帆船』 - 『メキシコ湾流』のぼうっと見えるサメらは、この帆船を包囲攻撃する、地獄に落とされた者らに比較される。[13]

ドラクロワの『ダンテの帆船』、ウィリアム・ターナーの『奴隷船』(『The Slave Ship』)およびトマス・コールの『人生の航路』をふくむ、ほかの19世紀の絵画への言及は、そのうえ、注意された[4]。これら3点の絵画(ドラクロワの場合は、準備的な習作)は、19世紀半ばのアメリカの公共美術収集のひとつ、ニュー・ヨークのジョン・テーラー・ジョンストンのそれにあって、そしてホーマーがこれらの絵をよく知っていたということはありそうである。彼自身の作品のひとつ『前線からの捕虜』(『Prisoners from the Front』)は、同じコレクションにあった[14]。美術史家ニコライ・チコフスキー・ジュニア(Nicolai Cikovsky, Jr.)にとって『メキシコ湾流』は、ホーマーの直接的な海洋体験よりも、『ダンテの帆船』の拷問に掛けられるひとびとに由来する、円を描いて泳いでいるサメら、『奴隷船』によって霊感を与えられたドラマチックな海と空、そして『人生の航路』に類似する「絵画的な発話のモード」("mode of pictorial utterance")のために、これらの美術上の前任者らによって豊かな情報が与えられている[13]

この絵の諸要素は、葬儀的言及を有していると解釈されている:ボートのへさきの黒い十字架にくわえて、開いているハッチ(墓をあらわす)、ロープ(死体を降ろすための)、折れたマストと破れた帆(きょうかたびら)は、象徴的な意義のために引証されている[15]。それとは対照的に、1876年のホーマーの絵『風が強まる(順風)』(『Breezing UpA Fair Wind)』)のボートは、希望を象徴する、へさきの錨を大きく取り扱った。[15]

『メキシコ湾流』の船員は、これらの隠喩を無視し、サメら、水上の竜巻に注意を払わず、遠くの船にも注意を払わず、そしてロマンチックな傑作、ジェリコーの『メデューズ号の筏』の楽観主義をさかさまにする[15]

ホーマーの伝記作者アルバート・テン・アイク・ガードナー(Albert Ten Eyck Gardner)は、『メキシコ湾流』はこの美術家の最も偉大な絵であると信じ、そして美術批評家サダキチ・ハートマンはこれを「アメリカで描かれた最も偉大な絵のひとつ」と称した[9]。のちの諸評価は、「ドラマの、過度と言ってもいいくらいのペーソス」についてより批判的である[6]ジョン・アップダイクは、この絵を「有名であるが、しかしそのサメの過剰殺害と水上の竜巻のために不条理の瀬戸際にある」と考えた[16]。黒人アメリカ文化学者シドニー・カプラン(Sidney Kaplan)にとって、『メキシコ湾流』は、「黒人 - 水上の竜巻と腹の白いサメとのあいだの自分の最期を禁欲的にホーマー的に待っている不死の黒人 - のイメージの傑作である。」[10]ピーター・H・ウッド英語版(Peter H. Wood)は、絵を、奴隷貿易およびその後のあいだのアメリカにおける黒人の状況のアレゴリーとして解釈する本を書いている[17]

注釈

  1. ^ Cikovsky, 382
  2. ^ a b Cooper, 143
  3. ^ Cooper, 215-216
  4. ^ a b c d Cikovsky, 369
  5. ^ Spassky, 35-37
  6. ^ a b c d e Spassky, 37
  7. ^ a b Spassky, 39
  8. ^ Griffin, Randall C. Homer, Eakins & Anshutz: the search for American identity in the gilded age, p. 103. Penn State Press, 2004. ISBN 0-271-02329-5
  9. ^ a b Gardner, 211
  10. ^ a b Spassky, 41
  11. ^ Spassky, 38-39
  12. ^ Cikovsky, 307
  13. ^ a b Cikovsky, 370
  14. ^ Cikovsky, 369-370
  15. ^ a b c Cikovsky, 383
  16. ^ Updike, John. Still Looking: Essays on American Art, p. 67. Alfred A. Knopf, New York: 1997. ISBN 1-4000-4418-9
  17. ^ Wood, Peter H. Weathering the Storm: Inside Winslow Homer's Gulf Stream (Mercer University Lamar Memorial Lectures), University of Georgia Press (July 7, 2004). ISBN 0820326259

参考文献

外部リンク


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