日野草城
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日野 草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)は、日本の俳人。東京都出身。本名は克修(よしのぶ)。
- ^ 神陵俳句会→京大三高俳句会という流れで語られるのは、草城自身の記した『俳句文学全集 日野草城篇』(1937 第一書房)「年譜」中の記述を踏まえたものと考えられているが、「ホトトギス」大正8年10月号の岩田紫雲郎報「京大神陵俳句会」、同大正9年4月号の草城による虛子歓迎句会報中にある「私達でやつてゐる京大三高俳句会」という記述などを勘案したうえで、「京大神陵俳句会は結成間もなく、自然に京大三高俳句会と呼ばれるやうになつてゆく」(島田牙城 『俳句の背骨』p146-147 2017 邑書林)という異説も出されている。
- ^ 秋尾敏「水原秋桜子と『馬酔木』」『俳壇』第11号、2000年、2012年2月6日閲覧。
- ^ 『現代俳句ハンドブック』、212-213頁
- ^ 『日野草城』 152頁
- ^ 『現代俳句大事典』 469頁
- ^ 『定本 現代俳句』 164頁
- ^ 『日野草城』 11頁
- ^ 『日野草城』 116頁
- ^ 『日野草城』 156頁
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