ミウコヴィツェ - ヤシェン線とは? わかりやすく解説

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ミウコヴィツェ - ヤシェン線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 02:01 UTC 版)

ミウコヴィツェ - ヤシェン線
赤線はベルリン - ヴロツワフ間本線、紫色はミウコヴィツェ - ヤシェン線
基本情報
現況 部分廃止
ポーランド
路線記号 282
開業 1845年10月1日
運営者 ポーランド国鉄
路線諸元
路線距離 124 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 単線、複線
複線区間 ミウコヴィツェ - ヴェングリニェツ
電化区間 ミウコヴィツェ - ヴェングリニェツ
電化方式 3000 V(直流
最高速度 160 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
ヴロツワフ - グーベン線
0.0 ミウコヴィツェ
ヴロツワフ - グーベン線
Skora
Złotoryja方面
9.0 ホイヌーフ
Rokitki方面
道路94号
15.5 オセトニツァ
自動車道A4
20.5 オックミアニ
道路94号
27.7 トマスゾーフ・ボレスワヴィエツキ
Bobrzyco
旧ボレスワヴィエツ市街線
道路94号
ボレスワヴィエツ産業団地連結
36.0 ボレスワヴェツ
ボーブル川 (489 m高架橋)
クヴィサ川
イェレニャ・グラ - ジャーガン線
49.1 ゼブジドヴァ
イェレニャ・グラ - ジャーガン線
自動車道A4
55.8 ザガイニック
Węgliniec WG
ヴェングリニェツ - ルバン線
61.5 ヴェングリニェツ
W-R線、W-G線
64.5 スタートリンク・ヴェングリニェツェ
70.2 ヤゴジン
75.3 ルスズーフ
ゴジュニツァ方面
79.4 オクロングリツァ
ドルヌィ・シロンスク県 / ルブシュ県
86.6 イウォヴァ・ジャガニスカ
91.4 コニン・ジャガニスキ
94.0 ヤンコヴァ・ジャガニスカ
Zagań方面
97.7 ジャーリ・クニツェ
ウッチ - フォルスト線
102.4 ジャーリ
Zielona Góra方面
シェンゲンボローニャヴァン・ジャールスカ
ウッチ - フォルスト線
116.2 旧リプスク・ジャールスキ
ヴロツワフ - グーベン線
123.4 旧ヤシェン
ヴロツワフ - グーベン線

ミウコヴィツェ - ヤシェン線ポーランド語: Linia kolejowa Miłkovice–Jasień)はドルヌィ・シロンスク県ミウコヴィツェとルブシュ県ヤシェンを結ぶポーランド国鉄の幹線鉄道路線で、現在ジャーリ - ヤシェン間は廃止されている。ミウコヴィツェ - ヴェングリニェツ間は3000 Vの直流で電化されており、全区間はかつてニーダーシュレージエン=マルク鉄道(Niederschlesisch-Märkische Eisenbahn, NME)の本線であった。

歴史

1845年1月ベルリン=フランクフルト鉄道会社とNMEが合併した。同年10月1日リークニッツ(現在レグニツァ) - ブンツラウ(現在ボレスワヴィエツ)間はアルンスドルフ(現在ミウコヴィツェ)経由で開通された[1]。1846年9月1日にブンツラウ - フランクフルト(オーデル)間はガッセン(現在ヤシェン)を中間地点として開通された[2]。1852年にNMEは王立プロイセン鉄道の管理局となった。

1875年5月15日新線がアルンスドルフ - ガッセン間に開通されて、コールフルト(現在ヴェングリニェツ)経由の既存鉄道よりおよそ30 km短くなった[3]。特にコールフルト - ガッセン間の重要性は新線の開通で厳しく喪失した。ただし1874年6月にコールフルト - ルーラント間鉄道が開通されて、中部ドイツの鉄道網連結が強化された[4]

1920年にドイツ国営鉄道は帝国鉄道を継承して、この路線は国営鉄道の鉄道網に組み入れられた。1942年2月3日に軍用列車の兵士用客車内に暖房装置が列車の走行中に爆発した。この事故で20人が死亡して15人が負傷を負った[5]

第二次世界大戦の終戦後、ラウジッツ・ナイセ川オーデル川以東はポーランド領となって、この路線はポーランド国鉄により引き受けられた。二番目の線路はヴェングリニェツ - シャーリ間で優先撤去されて、シャーリ - ヤシェン間も単線となった[6]

1985年12月電車線がレグニツァ - ヴェングリニェツ区間に設備された[6]

2003年4月ドイツの建設・交通省とポーランドの社会基盤省の間に、ベルリン - ワルシャワ間およびドレスデン - ヴロツワフ間鉄道共同業務および発展に関する協定が締結された[7]。2010年末レグニツァ - ヴェングリニェツ間が改修されて、最高速度が160 km/hに向上したことでその協定は履行された。2010年12月にハンブルク - クラクフ間にユーロシティー系統がこの路線経由で導入されて、2014年12月まで運営された。シャーリ - レグニツァ間の所要時間はおよそ2時間であった[8]

運行形態

  • 普通列車: ヴロツワフ - レグニツァ - ミウコヴィツェ - ホイヌーフ - オセトニツァ - オックミアニ - トマスゾーフ・ボレスワヴェツキ - ボレスワヴェツ - ゼブジドヴァ - ザガイニック - ヴェングリニェツ。

参考文献

  • Wolfgang Klee (1982) (ドイツ語). Preußische Eisenbahngeschichte. Kohlhammer-Edition Eisenbahn. Stuttgart: Kohlhammer. ISBN 3-17-007466-0 
  • Wilfried Rettig (2010) (ドイツ語). Eisenbahn im Dreiländereck. Ostsachsen / Niederschlesien / Nordböhmen. Teil 1: Geschichte der Hauptstrecken, Betriebsstellen und Fahrtbeschtribungen. Freiburg (Breisgau): EK-Verlag. ISBN 978-3-88255-732-9 

外部リンク

脚注

  1. ^ “Preußische Eisenbahnen” (ドイツ語). Eisenbahn-Zeitung (Nr. 40): p. 341. (1845年10月5日). https://digipress.digitale-sammlungen.de/view/bsb10049003_00343_u001/1 
  2. ^ “Preußische Eisenbahnen” (ドイツ語). Eisenbahn-Zeitung (Nr. 37): p. 324. (1846年9月13日). https://digipress.digitale-sammlungen.de/view/bsb10049004_00347_u001/6 
  3. ^ “Berliner Briefe” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (Nr. 43): p. 414. (1875年6月4日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb11305412?page=436,437 
  4. ^ W. Rettig (2010). pp. 11, 113
  5. ^ Hans Joachim Ritzau (1979) (ドイツ語). Eisenbahn-Katastrophen in Deutschland. Splitter deutscher Geschichte. 1. Landsberg-Pürgen: Verlag Zeit und Eisenbahn. p. 130 
  6. ^ a b W. Rettig (2010). p. 32
  7. ^ Abkommen zwischen dem Bundesministerium für Verkehr, Bau- und Wohnungswesen der Bundesrepublik Deutschland und dem Minister für Infrastruktur der Republik Polen über die Zusammenarbeit bei der Weiterentwicklung der Eisenbahnverbindungen Berlin - Warschau (Warszawa) (C-E 20) sowie Dresden - Breslau (Wroclaw) (E 30/C-E 30)” (ドイツ語). Matthias Dörfler. 2023年7月10日閲覧。
  8. ^ Ostatni przejazd EC Wawel - 13.12.2014 - relacja” (ポーランド語). Kolejowe Łużyce (2014年12月18日). 2017年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月10日閲覧。



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