マーク・キンセラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 07:23 UTC 版)
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| 名前 | ||||||
| 本名 | マーク・アンソニー・キンセラ | |||||
| カタカナ | マーク・キンセラ | |||||
| ラテン文字 | Mark Kinsella | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |   | 
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| 生年月日 | 1972年8月12日(47歳) | |||||
| 出身地 | ダブリン | |||||
| 身長 | 175cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1998-2004 |   | 
   48 (3) | ||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
マーク・キンセラ (Mark Kinsella, 1972年8月12日 - )は、アイルランド・ダブリン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元アイルランド代表。現役時代のポジションはMF。
経歴
下部リーグのコルチェスター・ユナイテッドFCで頭角をあらわす。1996年、当時ディヴィジョン1(2部)に所属していたチャールトン・アスレティックFCに移籍し、1998年には主将としてFAプレミアリーグ昇格の原動力となった。チャールトンは翌シーズン限りで再びディヴィジョン1に降格されたが、さらにその翌シーズンには再びキンセラを中心にした陣容でディヴィジョン1を制覇し、プレミアシップに昇格することとなる。
しかし2001年にキンセラは故障のため、中盤のレギュラーの座をスコット・パーカーに奪われる。このシーズン終了後に開催された日韓W杯では、マット・ホランドとともにロイ・キーン離脱後の中盤を担い、ベスト16進出を果たす。この活躍によりキンセラは100万ポンドの移籍金でアストン・ヴィラFCへの移籍を果たすが、アストン・ヴィラではほとんど見せ場を作れず、2シーズン半在籍した後、2004年1月に2部所属のWBAへ移籍する。WBAのプレミアシップ昇格に貢献したが、契約延長はならず、4部のウォルソールに移籍する。
ウォルソールでは2004-2005、2005-2006の2シーズンを過ごすが、故障のためにもはやフル稼働は不可能であった。ちなみに2006年4月には監督退任を受けて2試合のみ、プレーイング・マネージャーを務めている。2006-2007シーズンはコーチ兼任選手としてウォルソールに在籍し、2006年12月に現役を引退してチャールトンの若手育成担当コーチに就任した。その後チャールトンのリザーブチームの監督を務めた。2011年にダヴェントリー・タウンFCの監督に就任。2015年にはドロヘダ・ユナイテッドFCの監督を務めた。
アイルランド代表として1998年から2004年の間に48試合に出場(3得点)。
受賞歴
- チャールトン・サポーター選出年間最優秀選手 (1997-1998, 1998-1999)
 
所属クラブ
 ホームファーム 1988-1989
 コルチェスター・ユナイテッド 1989-1996
 チャールトン・アスレティック 1996-2002
 アストン・ヴィラ 2002-2003
 ウェスト・ブロムウィッチ 2003-2004
 ウォルソール 2004-2006
 ルイスFC 2008
監督歴
 ウォルソールFC(暫定) 2006
 ダヴェントリー・タウンFC 2011-2012
 ドロヘダ・ユナイテッドFC 2015
    
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固有名詞の分類
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