マリーア・インマコラータ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1874-1947)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/25 08:11 UTC 版)
マリーア・インマコラータ Maria Immacolata |
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ボルボーネ=シチリア家 | |
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出生 | 1874年10月30日![]() |
死去 | 1947年11月28日(73歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | ヨハン・ゲオルク・フォン・ザクセン |
父親 | アルフォンソ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
母親 | マリーア・アントニエッタ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ |
マリーア・インマコラータ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(イタリア語: Maria Immacolata di Borbone-Due Sicilie, 1874年10月30日 - 1947年11月28日)は、両シチリア王国の旧統治者家門ブルボン=シチリア家の子孫。両シチリア王フェルディナンド2世の孫娘にあたる。
ドイツ語名はマリア・インマクラータ・フォン・ブルボン=ジツィーリエン(Maria Immaculata von Bourbon-Sizilien)。
生涯
最後の両シチリア王フランチェスコ2世の異母弟カゼルタ伯アルフォンソと、その妻でトラーパニ伯の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第4子、長女として生まれた[1][2]。全名はマリーア・インマコラータ・クリスティーナ・ピア・イザベッラ(Maria Immacolata Cristina Pia Isabella)。
1906年10月30日にカンヌにおいて、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世の弟ヨハン・ゲオルクと結婚した。ヨハン・ゲオルクは最初の妻のヴュルテンベルク公女マリア・イザベラと死別しており、マリーア・インマコラータとの結婚は再婚だった。夫妻の間に子供は無かった。
脚注
- ^ Darryl Lundy (2003年5月10日). “Maria Immaculee di Borbone, Principessa di Borbone delle Due Sicilie”. thePeerage.com. 2008年10月9日閲覧。
- ^ Paul Theroff. “TWO SICILIES”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2009年3月31日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年10月9日閲覧。
外部リンク
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