フリードリヒ・グリュッツマッハー
(フリードリヒ・グリュッツマッヒャー から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 01:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フリードリヒ ヴィルヘルム グリュッツマッハー | |
---|---|
![]() |
|
基本情報 | |
生誕 | 1832年3月1日 |
出身地 | アンハルト=デッサウ公国、デッサウ |
死没 | 1903年2月23日(70歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | チェリスト |
担当楽器 | チェロ |
フリードリヒ・ヴィルヘルム・グリュッツマッハー(Friedrich Wilhelm Grützmacher, 1832年3月1日 - 1903年2月23日)は、19世紀後半のドイツ人チェリスト。姓はグリュッツマッヒャーとも表記される。
経歴
アンハルト=デッサウ公国デッサウに生まれ、父親に音楽の手ほどきを受けた後、間もなくフリードリヒ・ドッツァウアーの門弟カール・ドレクスラーに入門した。1848年にライプツィヒにて、ヴァイオリニストのフェルディナンド・ダヴィッドに見出され、いくつかの演奏会の手筈を整えてもらう。1850年にはライプツィヒ劇場管弦楽団やライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とソリストとして共演し、ライプツィヒ音楽院の教授に任命された。またダヴィット弦楽四重奏団でも演奏した。
1860年にドレスデン宮廷歌劇団の首席チェロ奏者に転任し、ドレスデン音楽協会の会長も勤めた。1877年にドレスデン音楽院の教授に就任。ロシア帝国を含むヨーロッパ全土で演奏活動を行い、ロシアではカルル・ダヴィドフと親交を結んだ。1898年にはケルンにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩《ドン・キホーテ》の初演で独奏チェロを担当した。
門弟にヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンとフーゴー・ベッカーがいる。
ルイジ・ボッケリーニの《チェロ協奏曲 第9番》を校訂する際にグリュッツマッハーが改変を加えた版は今なお出版され、演奏されている。また、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《無伴奏チェロ組曲》を編曲し、和音やパッセージ、装飾音を完全に書き換えることもした。ボッケリーニやフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの協奏曲のためにグリュッツマッヒャーが残したカデンツァは効果的なため、今日でもしばしば利用されている。
参考資料
外部リンク
- フリードリヒ・グリュッツマッハーの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト。PDFとして無料で入手可能。
脚注
固有名詞の分類
- フリードリヒ・グリュッツマッハーのページへのリンク