フランツ・デ・パウラ・フォン・シェーンボルンとは? わかりやすく解説

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フランツ・デ・パウラ・フォン・シェーンボルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/19 06:54 UTC 版)

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フランツ・デ・パウラ・フォン・シェーンボルン
プラハ大司教、枢機卿
フランツ・フォン・シェーンボルン枢機卿の胸像、ヴィクトル・ティルグナー(Viktor Tilgner)制作
大司教区 プラハ
着座 1885年7月27日
離任 1899年6月25日
聖職
司祭叙階 1872年8月18日
司教叙階 1883年11月18日
枢機卿任命 1889年5月24日
個人情報
出生 1844年1月24日
オーストリア帝国プラハ
死去 1899年6月25日
オーストリア=ハンガリー帝国ファルケナウ・アン・デア・エーゲル英語版
墓所 聖ヴィート大聖堂
両親 父:エルヴァイン・フォン・シェーンボルン
母:クリスティーナ・フォン・ブリュール

フランツ・デ・パウラ・フォン・シェーンボルン:Franz de Paula(Franziskus von Paula) Graf von Schönborn, 1844年1月24日 - 1899年6月25日)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)カトリック教会の高位聖職者。ブドヴァイス司教、プラハ大司教、枢機卿

生涯

高位聖職者を多く出したシェーンボルン家英語版の一員であるエルヴァイン・フォン・シェーンボルン伯爵(1812年 - 1888年)[1]と、その妻の伯爵令嬢クリスティーナ・フォン・ブリュール(1817年 - 1902年)[2]の間の末息子として生まれた。プラハ、インスブルックローマで法学と神学を学び、1875年にグレゴリアン大学神学博士号を取得した。1872年に下級聖職者英語版の職を得た後、1873年8月7日に副助祭、8月10に助祭、そして8月18日に司祭に叙階された。1875年よりプラーン・バイ・マリーエンバート英語版で小聖堂付き司祭を務めた。1879年にプラハの神学校の副校長となり、1882年に校長に昇進した。

1883年8月22日、オーストリア皇帝政府によりブドヴァイス司教後継者に指名された。同年9月29日の教皇庁の追認を経て、11月18日にプラハ大司教フリードリヒ・ツー・シュヴァルツェンベルクによって司教叙階を受け、11月25日に正式にブドヴァイス司教に就任した。1885年にシュヴァルツェンベルクが死去するとその後継者に指名され、同年7月27日に教皇の認可を得てプラハ大司教に着任。1889年5月24日、教皇レオ13世によりサン・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会英語版を名義聖堂とする司祭枢機卿に任命された。

ハンガリー聖イシュトヴァーン勲章英語版大十字章を受けている。死後、遺骸は聖ヴィート大聖堂に葬られた。ウィーン大司教クリストフ・シェーンボルンは兄の玄孫にあたる。

参考文献

  • Erwein Prinz von Lobkowicz: Erinnerungen an die Monarchie, Amalthea Verlag Wien, 1989, ISBN 3-85002-276-5 (auf Seiten 64-102 eigenes Kapitel über Kardinal Graf von Schönborn, welcher der Onkel des Verfassers war)

脚注

  1. ^ vgl. [1]
  2. ^ vgl. [2]

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