フランソワーズ・ド・ロレーヌとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > ロレーヌ家 > フランソワーズ・ド・ロレーヌの意味・解説 

フランソワーズ・ド・ロレーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/16 14:37 UTC 版)

フランソワーズ
Françoise
メルクール女公
パンティエーヴル女公
晩年のヴァンドーム公爵夫人フランソワーズ
在位 1602年 - 1669年

出生 1592年11月
フランス王国
ナント
死去 (1669-09-08) 1669年9月8日(76歳没)
フランス王国
パリ
配偶者 セザール・ド・ブルボン
子女 ルイ2世
エリザベート
フランソワ
家名 ロレーヌ家
父親 メルクール公フィリップ=エマニュエル
母親 マリー・ド・リュクサンブールフランス語版
テンプレートを表示

フランソワーズ・ド・ロレーヌFrançoise de Lorraine, 1592年11月 - 1669年9月8日)は、フランスのメルクール公爵家の女子相続人。メルクール女公英語版およびパンティエーヴル女公英語版(在位:1602年 - 1669年)。フランス王アンリ4世の庶長子であるヴァンドーム公セザールの妻。

生涯

ロレーヌ公爵家の流れをくむメルクール公フィリップ=エマニュエルと、パンティエーヴル公爵家の女子相続人マリー・ド・リュクサンブール(リュクサンブール=リニー家)の間の長女として生まれた。父方の伯母ルイーズはフランス王アンリ3世の妃である。両親にとって唯一成育した子供であり、フランスで最も裕福な女子相続人の1人だった。

ユグノー戦争末期、ブルターニュ地方の知事だった父フィリップ=エマニュエルは、敵対していたナバラ王がアンリ4世としてフランス王位に就くと、スペインの支援を得てナントに独立政権を樹立し、ブルターニュ公国を再建しようとした。妻マリーがブルターニュ公爵位請求者だったことも、その野心を後押しした。フィリップ=エマニュエルは1598年3月にアンリ4世に降伏したが、同年5月にフランス、スペインの間で結ばれたヴェルヴァン条約英語版では、6歳のフランソワーズと、アンリ4世が愛妾のガブリエル・デストレとの間にもうけた非嫡出子で4歳のセザールとの婚約が明記されていた。

フランソワーズは1602年に父を亡くし、メルクール公爵位およびパンティエーヴル公爵位を継承した。1609年7月19日にセザールとの結婚式が執り行われ、婚姻契約によりフランソワーズの領地の管理権はセザールに移った。1669年、パリにおいて77歳で亡くなった。

子女

  • ルイ2世(1612年 - 1669年) - ヴァンドーム公爵、メルクール公爵、パンティエーヴル公爵
  • エリザベート(1614年 - 1664年) - 1643年、ヌムール公シャルル・アメデと結婚
  • フランソワ(1616年 - 1669年) - ボーフォール公爵

脚注

参考文献

  • Martha Walker Freer, History of the Reign of Henry IV, King of France and Navarre: Part 3. The last decade of a glorious reign. Vol. II., Hurst and Blackett, 1863. [1]
先代
フィリップ=エマニュエル
メルクール公
パンティエーヴル公
1602年 - 1669年
次代
ルイ・ジョゼフ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランソワーズ・ド・ロレーヌ」の関連用語

フランソワーズ・ド・ロレーヌのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランソワーズ・ド・ロレーヌのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランソワーズ・ド・ロレーヌ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS