フランソワパンネマーケルとは? わかりやすく解説

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フランソワ・パンネマーケル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 06:42 UTC 版)

フランソワ・パンネマーケル
François Pannemaker
生誕 Adolphe-François Pannemaker
(1822-07-30) 1822年7月30日
ネーデルラント連合王国ブリュッセル
死没 1900年2月9日(1900-02-09)(77歳没)
フランス共和国パリ
国籍 ベルギー
著名な実績 版画
代表作 100ブルー・フラン紙幣
受賞 1889年パリ万国博覧会 大賞
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フランソワ・パンネマーケル (François Pannemaker1822年7月30日 - 1900年2月9日)は、ベルギー版画家ブリュッセルで生まれ、主にフランスで活躍した。

経歴

フランソワ・パンネマーケル (本名:Adolphe-François Pannemaker) はネーデルラント連合王国御者の息子として生まれ、1836年にブリュッセルの王立版画学校に入学した。そこで彼はイギリス出身のヘンリー(1816-1870)とウィリアム(1814-1877)のブラウン兄弟から教えを受ける。

彼は1839年にシルヴィオ・ペッリコの著書『我が牢獄』のためにジョセフ・クーマンスの原画をもとに2点の版画を製作したのち、ポール・ルーテルシャルル・ボーニエジャン=バティスト・マドウなどのベルギーのイラストレーターの作品を多く版画化した。彼は1840年から1845年にかけて『ベルギー史』の制作に携わり、その間の1843年にはパリに行き、版画の修行を終えた。翌年には印刷業者の娘であるアタリー・ダワンと結婚、夫婦でブリュッセルに戻り、1847年には息子のステファーヌが生まれる。ステファーヌはのちに父親の一番弟子となり、版画家として活動している。

旧約聖書『大洪水ドレ画 (1866年)
100ブルー・フラン紙幣 (1863年)

1855年、家族でパリに移住。彼はギュスターヴ・ドレの絵画を多く版画化したほか、エルクマン=シャトリアンジュール・ヴェルヌの小説の挿絵の版画を手がけた[1]。1863年には、100ブルー・フランなどのいくつかのフランス紙幣の図版を手がけ、1869年には20ベルギー・フラン紙幣を製作した。また、エコール・インペリアル・デ・デッサン(のちの国立高等装飾美術学校)では木版画の教授を務め、多くの学生を指導している。

1885年、彼はパリのパビリオン・デ・フロールで開催された、第1回「白と黒の国際展」の木版画部門に出展し、自身も審査員を務めた。 1889年のパリ万国博覧会では大賞を受賞。

彼は1900年2月9日にパリで死去した。

著名な門下生

脚注

  1. ^ Ad. Ligny (?-?), notice sur data.bnf.fr.
  2. ^ Лазаревский И. (I. Lazarevski) (1948). Василий Васильевич Матэ [Vassili Vassilievtch Mate] (ロシア語). repris dans «Массовая библиотека» Артпоиск - русские художники / artpoisk.info. 2018年3月3日閲覧.

参考文献

  • Rémi Blachon, La gravure sur bois au XIXe siècle, l'âge du bois debout, Paris, éditions de l'Amateur, 2001 ISBN 2-85917-332-3.

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