フェルナンド・ニコラス・オリバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 01:29 UTC 版)
|
||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | フェルナンド・ニコラス・オリバ | |||||
愛称 | オリバ | |||||
ラテン文字 | Fernando Nicolas Oliva | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
|||||
生年月日 | 1971年9月26日(53歳) | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW/MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1996 | ![]() |
|||||
1996-1998 | ![]() |
67 | (39) | |||
1998-2000 | ![]() |
34 | (9) | |||
2000-2001 | ![]() |
5 | (1) | |||
2003 | ![]() |
|||||
2003 | ![]() |
|||||
2004 | ![]() |
|||||
通算 | 106 | (49) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フェルナンド・ニコラス・オリバ(Fernando Nicolas Oliva、1971年9月26日-)はアルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。元アルゼンチンB代表。
経歴
セントラル・コルドバから1996年に清水エスパルスに入団、FW、攻撃的MFとしてプレー、清水の得点源として活躍を続け、清水史上最高の外国人選手という声もある[1]。。同じアルゼンチン人である当時のオズワルド・アルディレス監督は、オリバを即座にチームの主軸に据え、清水にとって初タイトルとなる同年のヤマザキナビスコカップ優勝に貢献。準決勝では2ゴールを決めて決勝進出に貢献[2]、決勝ではチームの2点目を決め、3-3の激戦の末にPK戦にまでもつれ込むが、優勝を決定付けた5人目のキッカーとしてPKを成功させた[3][4]。
1998年の1stステージは、6試合を負傷で欠場するなど、いま一つの調子であったが、2ndステージに入り調子を取り戻すと、攻撃の中核としての活躍を見せ、リーグ戦で21得点9アシストを記録するなど、週刊サッカーマガジン選出のベストイレブンにも選出された[5]。同年JOMOカップに外国籍選手選抜の一員として先発出場、1ゴールを決めている[6]。
1999年にいったん母国に戻るものの、翌年清水に復帰。しかしこの時期は清水の攻撃陣が安永聡太郎・久保山由清らが台頭し固定されており、オリバの古傷である膝の状態も芳しくかったためトップフォームに遠く、2001年7月末をもって退団した。
評価
- 2019年に公式戦1000試合出場を果たした遠藤保仁がその記録を記念して受けたインタビューにて、新人時代の1998年に対戦したオリバのプレーに衝撃を受けたと証言し「フィジカル、技術、選択肢のすべてが高いレベルで万能、ドリブルも多彩で予測できないかわされ方をした。とにかく上手くて何をしてくるか、何が得意なのか全く読めない選手だった」と述懐している[8]。
所属クラブ
- 1990年-1996年
インスティトゥートACコルドバ
- 1996年-1998年
清水エスパルス
- 1998年-2000年
タジェレス・デ・コルドバ
- 2000年-2001年
清水エスパルス
- 2003年
インスティトゥートACコルドバ
- 2003年
CAヘネラル・パス・ジュニアーズ
- 2004年
スポルティーボ・ベルグラーノ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | インスティトゥート | ||||||||||
1991-92 | |||||||||||
1992-93 | |||||||||||
1993-94 | |||||||||||
1994-95 | |||||||||||
1995-96 | |||||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | 清水 | - | J | 18 | 5 | 16 | 9 | 2 | 1 | 36 | 15 |
1997 | 8 | 22 | 13 | 5 | 2 | 3 | 2 | 30 | 17 | ||
1998 | 27 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 27 | 21 | |||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
1998-99 | タジェレス | 14 | 5 | ||||||||
1999-00 | 20 | 4 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 清水 | 12 | J1 | 5 | 1 | 2 | 1 | 4 | 1 | 11 | 3 |
2001 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
通算 | アルゼンチン | ||||||||||
日本 | J1 | 72 | 40 | 23 | 12 | 9 | 4 | 104 | 56 | ||
総通算 |
その他の公式戦
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
脚注
- ^ https://ameblo.jp/todakazuyuki/entry-10252179533.html%7C 戸田和幸ブログ/3週間記念!!
- ^ “96Jリーグヤマザキナビスコカップ 準決勝戦”. data.j-league 2020年4月8日閲覧。
- ^ “96Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝戦=”. data.j-league 2020年4月8日閲覧。
- ^ “HISTORY of SHIMIZU S-PULSE since 1991 1996年”. www.s-pulse.co.jp 2020年4月8日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン|1998年12月30日 No.692 P.122-125
- ^ “JOMO CUP’98 Jリーグドリームマッチ”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “レジェンド澤登正朗が選ぶエスパ歴代ベストイレブン!「トップ下は...自分を置きたいけど、やっぱり小野!」「オリバは最高のパートナー」”. サッカーダイジェストWeb編集部 (2024年10月30日). 2024年10月30日閲覧。
- ^ 遠藤保仁、衝撃のJリーグ海外助っ人は? Football ZONE 2019年9月2日
関連項目
外部リンク
- フェルナンド・ニコラス・オリバ - FootballDatabase.eu
- フェルナンド・ニコラス・オリバ - WorldFootball.net
- フェルナンド・ニコラス・オリバ - Transfermarkt.comによる選手データ
- フェルナンド・ニコラス・オリバ - J.League Data Siteによる選手データ
固有名詞の分類
アルゼンチンのサッカー選手 |
ワルテル・サムエル ギジェルモ・バロスケロット フェルナンド・ニコラス・オリバ ハビエル・エルナン・ガルシア ファビアン・アスマン |
清水エスパルスの選手 |
北嶋秀朗 田坂和昭 フェルナンド・ニコラス・オリバ 太田圭輔 若松大樹 |
- フェルナンド・ニコラス・オリバのページへのリンク