フェリックス・ニコラス・ミドンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フェリックス・ニコラス・ミドンの意味・解説 

フェリックス・ニコラス・ミドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 01:31 UTC 版)

フェリックス・ニコラス・ミドン
Félix-Nicolas-Joseph Midon
カトリック大阪司教
教会 カトリック教会
司教区 大阪
着座 1891年6月15日
離任 1893年4月12日
聖職
司祭叙階 1864年5月21日
司教叙階 1888年6月11日
個人情報
出生 1840年5月7日
フランス王国
ヴォージュ県
ボンヴィレ
死去 1893年4月12日
フランス共和国
マルセイユ
テンプレートを表示

フェリックス・ニコラス・ミドン(Félix-Nicolas-Joseph Midon, 1840年5月7日1893年4月12日)は、フランスのカトリック宣教師で、パリ外国宣教会員。日本中部使徒座代理区長及びカトリック大阪教区初代司教を務めた。

生涯

フランスヴォージュ県ボンヴィレで、父ジョセフ・ミドンと母マリー・マドレーヌの長男として生まれる。母親を亡くして7歳のときに叔父のジャレ神父に託された。ポンタムーソンの小神学校とナンシーの大神学校で学んた。1864年5月21日に司祭に叙階され、サンジャック・ド・ルネヴィル教会の司祭に任命され、次にサン・セバスチャン・ド・ナンシー教会の司祭に任命された[1] 。 1869年にパリ外国宣教会の神学校に入り、翌年には日本への伝道に出て、長崎でフランス語を教え、日本語を学んだ[2]

1888年6月11日、カエサロポリス名義司教および日本中部使徒座代理区長として任命された。 1891年6月15日に大阪の司教に任命された[3]

体調不良でフランスに帰国し、1893年4月12日にマルセイユ肺炎で亡くなった。

脚注

  1. ^ Horiguchi, Ryoichi (07 2014). “〈Note〉L'Acte de Naissance de Joseph Nicolas Felix Midon, Premier Eveque d'Osaka”. 近畿大學法學 (近畿大学法学会) 62 (1): 161-171. ISSN 0916-4537. CRID 1050282677528071040. http://id.nii.ac.jp/1391/00012592/. 
  2. ^ Félix Nicolas Joseph MIDON in: Archives des Missions Étrangères de Paris
  3. ^ Bishop Félix-Nicolas-Joseph Midon, M.E.P., in: catholic.hierarchy.org

外部リンク

先代
カトリック大阪司教区 教区長
1891年1893年
次代
アンリ・ヴァスロン



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  フェリックス・ニコラス・ミドンのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フェリックス・ニコラス・ミドン」の関連用語

フェリックス・ニコラス・ミドンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フェリックス・ニコラス・ミドンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフェリックス・ニコラス・ミドン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS