フアナ・ロマーニとは? わかりやすく解説

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フアナ・ロマーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 04:49 UTC 版)

フアナ・ロマーニ
Juana Romani
誕生日 1869年8月31日
出生地 イタリア,ヴェッレトリ
死没年 1923年6月13日
死没地 フランス,シュレンヌ
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フアナ・ロマーニ(Juana Romani、1869年8月31日 - 1923年6月13日)はフランスの画家。イタリア出身である。主に女性の肖像画を描いた。

略歴

イタリアのラツィオ州ヴェッレトリで、Carolina Carlesimoとして生まれた。母親はヴェッレトリの貴族、テミストクレス・ロマーニ(Thémistocle Romani)の愛人となり、フアナの父親が不審な死を遂げた後、1877年に母親と、義理の父親となったテミストクレス・ロマーニとパリに移った。母親は美術学校でモデルの仕事を始め、ファナも子供時代から美術家のモデルを務めるようになった。13歳の時、彫刻家、アレクサンドル・ファルギエールの『ディアーナの像』のモデルになった。画家のビクター・プルーヴェやフェルディナン・ロワベジャン=ジャック・エンネルらのモデルを務めた。

アカデミー・コラロッシを設立したイタリア人画家、彫刻家のフィリッポ・コラロッシにその才能を見出されて、画家の道に進み、エンネルやロワベからレッスンを受け、カロリュス=デュランの美術教室にも参加した。19歳になった1888年から、フアナ・ロマーニという名前で展覧会に出展を始め、1888年から1904年の間、フランス芸術家協会の展覧会に出展した。

晩年は精神を病んで、精神病院で亡くなったとされる。

故郷のヴェッレトリには彼女の名前の付けられた学校がある。[1]

ギャラリー

ロマーニをモデルにした作品

ロマーニの作品

脚注

参考文献

  • Romani, Juana. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 28: Ramsden–Rosa. E. A. Seemann, Leipzig 1934, S. 548.
  • Judith Cernogora: Portraits de femmes. Point de vues, Rouen 2016, ISBN 978-2-37195-009-2.
  • Marion Lagrange: Les peintres italiens à Paris dans la seconde moitié du XIXe siècle. CTHS, Paris 2010, ISBN 978-2-7355-0708-5.





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