ビクトル・チーホノフ (1988年生)とは? わかりやすく解説

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ビクトル・チーホノフ (1988年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 03:25 UTC 版)

ビクトル・チーホノフ

現役時代
(2014年5月14日)
本名 ビクトル・ワレーリエビッチ・チーホノフ
原語名 Виктор Васильевич Тихонов
国籍 ロシア
アメリカ合衆国
 ラトビア
二重国籍[1]
生誕
出生地
(1988-05-12) 1988年5月12日(35歳)
ソビエト連邦
ラトビア・ソビエト社会主義共和国リガ
身長
体重
6 ft 2 in (1.88 m)
183 lb (83 kg; 13 st 1 lb)
ポジション ライト・ウィング
シュート 右打ち
所属歴 セーヴェルスタル・チェレポヴェツロシア語版 (2006 - 2008)
フェニックス・コヨーテズ (2008-09)
セーヴェルスタル・チェレポヴェツ (2009-10)
SKAサンクトペテルブルク (2011 - 2015)
シカゴ・ブラックホークス (2015-16)
アリゾナ・コヨーテズ (2015-16)
SKAサンクトペテルブルク (2016 - 2019)
SKAサンクトペテルブルク (2016 - 2019)
アク・バルス・カザン (2019 - 2021)
サラヴァト・ユラーエフ・ウファ (2021-22)
代表 ロシア
プロ選手期間 2004年 – 2022年
獲得メダル
男子アイスホッケー
 ロシア
アイスホッケー世界選手権
2014英語版
2015英語版
U20アイスホッケー世界選手権
2008

ビクトル・チーホノフ英語: Viktor Tikhonov1988年5月12日生まれ)は、ソビエト連邦生まれの元プロアイスホッケー選手。ポジションはライト・ウィンガー。

海外を転々とした少年時代

ビクトルの名前は元アイスホッケーソ連代表のヘッドコーチだった祖父、ビクトル・チーホノフ (1930年生)にちなんでいる。父親のワシーリー・チーホノフもアイスホッケーのコーチだった。 1988年ラトビアがまだソ連だった時代に、父のワシーリーがアイスホッケークラブであるディナモ・リガのコーチをしていたラトビアリガでで生まれた。 ビクトルが1歳の時にチーホノフ一家はフィンランドに移り、父ワシーリーはフィンランドのアイスホッケークラブであるエッセートのコーチになった。 ビクトルが3歳の時、祖父からアイスホッケー靴をプレゼントしてもらい、アイスホッケーを始める。 1992年、5歳の時に父ワシーリーはNHLに招かれ、カリフォルニアサンノゼ・シャークスの監督補佐になった。 1999年までチーホノフ一家はアメリカ合衆国で暮らし、ビクトルはサンタ・クララの少年チームで本格的にアイスホッケーを始める。 シャークスの試合を観戦するうちにビクトルはいつかNHLでプレーしたいと思うようになった。 2002年、12歳の時に父ワシーリーはフィンランドのアイスホッケークラブであるルッコからオファーを受け、チーホノフ一家は再度フィンランドに移住。ビクトルもルッコの少年チームでプレーをした。2年後にワシーリーはスイスのアイスホッケークラブであるランガウに招かれ、一家はスイスに移り住む。 ビクトルはランガウの少年チームに加入し、14歳の時にスイスの全国少年アイスホッケー大会で優勝そた[1]。 15歳の時にビクトルは初めてロシアの土を踏んだ。 父ワシーリーは祖父のビクトル・チーホノフとHC CSKAモスクワのコーチを率い、孫のビクトルもCSKAのホッケースクールに加入。後にビクトルはワシーリーと相談して、CSKA以外のクラブでシニアのキャリアを重ねることを決める。この決定について後にビクトルは、 「自分が祖父(ビクトル・チーホノフ (1930年生))に登用されていると思われるだろう、だからセーヴェルスタルに入った。そのことは後悔していない」と述べていた。

三重国籍 

アメリカ合衆国、フィンランド、スイスのクラブでプレーしていたときにそれぞれの国の代表チームに召集を受けていた。ビクトル自身は、「(ソ連代表の監督だった)祖父がいるのにロシア以外の代表チームでプレーするなんて考えたことがない」と後に話している。 ビクトルは出身地であるラトビアと、アメリカ合衆国のパスポートも保有しており、ロシアと合わせて3カ国の国籍を持っている[1]

国際大会の成績

2008年にU20世界選手権で銅メダルを獲得。ビクトルは7試合で5ゴール2アシストを決めて大会のベストフォワードに選ばれた。[2] [3] 2014年にソチオリンピックに出場したが、プレー時間はあまりなかった。 同年にミンスクで開かれた世界選手権でビクトルは第1ラインで出場。ロシアは優勝し、ビクトルは10試合で16ポイント(8ゴール8アシスト)を決めて大会のベストフォワード、ベストスコアラーー、ベストゴールスコアラーに選ばれた。 [4], [5] , [6]

クラブの成績

NHLとAHLではプレーオフに進出することができなかったが、KHLのSKAサンクトペテルブルグに移籍してからはプレーオフに4年連続で出場。2012年と2013年には西部コンファレンスの決勝まで進むものの、2年連続でHC ディナモ・モスクワに阻まれてガガーリン・カップ決勝に進むことができなかった。[7], [8]

2014年-2015年シーズンはクラブは定期試合をリーグ全体の2位で終えプレーオフに進出。西部コンファレンスの第1ラウンドではトルペード・ニージニーノブゴロドを4勝1敗で退け、 第2ラウンドでは2年連続でガガーリン・カップ決勝進出を阻まれた因縁のディナモ・モスクワと対戦する。このシーズンの定期試合でSKAとディナモは4回対戦し、4回ともディナモが勝利していた。 だがSKAは4勝1敗でディナモを破り、西部コンファレンスの決勝に進出。定期試合1位のHC CSKAモスクワと対戦する。 最初の3試合をSKAは0-3、延長1-3、1-3でCSKAに敗れ、あと1敗でプレーオフ敗退の危機に陥った。 だがここからSKAの反撃が始まる。第4戦を4-1、第5戦を6-2、第6戦を延長2-1でCSKAを破り、ガガーリン・カップ決勝進出を決める第7戦にもつれ込む。SKAは第1ピリオドで先制ゴールを決め、第2ピリオドでも追加点を決めて2-0とリードするが、CSKAも2得点を決めて2-2の同点に追いつく。 第3ピリオド51分にSKAのパトリック・トレッセンが勝ち越しゴールを決めるとCSKAは追いつくことができず、SKAは0勝3敗からの大逆転でついにガガーリン・カップの決勝進出を決める。 ガガーリン・カップの決勝でSKAサンクトペテルブルグはアクバルス・カザンと対戦し、4勝1敗でアクバルスを破って初のガガーリン・カップを制した [9],[10]。このプレーオフで15試合に出場し、1ゴール1アシストを決めている[11]

2015年-2016年シーズンはNHLのシカゴ・ブラックホークスと1年契約で移籍した[12]。SKAサンクトペテルブルクから一緒にブラックホークスに移籍したアルテミー・パナーリンの通訳代わりを当初は勤めていた。だがチームに適応して順調に結果を出していくパナーリンと対照的にチーホノフはまったく結果を出すことができず、出場11試合でポイント0であった。

2015年-2016年シーズン途中でアリゾナ・コヨーテズに移籍した[13],[14]

2016年7月18日、KHLのSKAサンクトペテルブルクと1年契約を締結したことを発表した[15]

詳細情報

レギュラーシーズンとプレーオフでの成績

    定期試合   プレーオフ
シーズン 所属 リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
2004–05 CSKA-2 モスクワ RUS-3 59 21 28 49 24
2005–06 HC ドミトロフ RUS-2 36 6 8 14 10
2005–06 HK ドミトロフ2 RUS-3 16 5 9 14 6
2006–07 セーヴェルスタル2 チェレポヴェツ RUS-3 21 14 16 30 20
2006–07 セーヴェルスタル・チェレポヴェツ RSL 4 0 0 0 0
2007–08 セーヴェルスタル・チェレポヴェツ RSL 43 6 6 12 43 8 0 1 1 4
2008–09 フェニックス・コヨーテズ NHL 61 8 8 16 20
2008–09 サンアントニオ・ランページ AHL 4 2 1 3 0
2009–10 サンアントニオ・ランページ AHL 18 2 6 8 12
2009–10 セーヴェルスタル・チェレポヴェツ KHL 25 14 1 15 12
2010–11 サンアントニオ・ランページ AHL 60 10 23 33 26
2011–12 SKAサンクトペテルブルグ KHL 42 17 13 30 18 10 4 2 6 4
2012–13 SKA サンクトペテルブルグ KHL 39 12 15 27 16 15 10 8 18 20
2013–14 SKA サンクトペテルブルグ KHL 52 18 16 34 20 10 2 1 3 2
2014–15 SKA サンクトペテルブルグ KHL 49 8 16 24 29 15 1 1 2 4
2015–16 シカゴ・ブラックホークス NHL 11 0 0 0 6
NHL合計 72 8 8 16 26
KHL合計 207 69 61 130 95 50 17 12 29 30

国際大会での成績

チーム 大会 結果   GP G A Pts PIM
2008 ロシア代表 U20世界選手権 7 5 2 7 6
2014 ロシア代表 ソチオリンピック 5位 2 0 1 1 0
2014 ロシア代表 世界選手権 10 8 8 16 10
2015 ロシア 世界選手権 10 1 2 3 4
ジュニア代表合計 7 5 2 7 6
 フル代表合計 22 9 11 20 14

脚注

外部リンク




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