パトモス島の聖ヨハネ (バルドゥング)とは? わかりやすく解説

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パトモス島の聖ヨハネ (バルドゥング)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 03:13 UTC 版)

『パトモス島の聖ヨハネ』
ドイツ語: Johannes auf Patmos
英語: St. John the Evangelist on Patmos
作者 ハンス・バルドゥング
製作年 1511年ごろ
種類 板上にテンペラ
寸法 87.3 cm × 75.6 cm (34.4 in × 29.8 in)
所蔵 メトロポリタン美術館ニューヨーク

パトモス島の聖ヨハネ』(パトモスとうのせいヨハネ、: Johannes auf Patmos: St. John the Evangelist on Patmos)は、ドイツルネサンス期の画家ハンス・バルドゥングが板上に油彩で描いた絵画で、本来、三連祭壇画の右翼パネルをなしていた[1][2][3]。バルドゥングがアルブレヒト・デューラーの工房から独立して約5年後の1511年ごろに制作されたと記録に記されている[1][2]。1983年に、さまざまな基金、財団、個人からの援助で購入されて以来[1][2]ニューヨークメトロポリタン美術館に所蔵されている[1][2][3]

作品

福音書記者使徒の聖ヨハネは、ローマ皇帝ドミティアヌスによってエーゲ海の小島パトモス島に追放される[4]が、そこで神の啓示を得て、「ヨハネ黙示録」を記したと伝えられる[5][6]

ヨハネは明るい赤色の衣服を身に着け、画面左上部にいる「黙示録の女」の幻影 (ヨハネ黙示録12:1-6) を見ながら[4][5][6]、膝の上で「黙示録」を執筆している[1][2]。画面下部左側にいる鷲はヨハネの象徴である[1][2]。幻影の女性は幼子イエス・キリストを抱いた聖母マリアとして表されており、鮮やかな青色の衣服を纏い、雲に縁取られたマンドルラ (アーモンド型の光背) の中に登場している[3]。「黙示録」の幻視は、ハンス・メムリンク、デューラーなどの北方の画家たちに人気のある主題であった[3]

本作が右翼パネルをなしていた三連祭壇画の中央パネルは、クリーブランド美術館に所蔵されている『聖グレゴリウスのミサ』であった。また、左翼パネルは、ナショナル・ギャラリー (ワシントン) 所蔵の『聖アンナと聖母子、洗礼者聖ヨハネ』であった[3]

本来の祭壇画

脚注

  1. ^ a b c d e f パトモス島の聖ヨハネ”. メトロポリタン美術館公式サイト (日本語). 2024年6月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f メトロポリタン美術館ガイド 2012年、244頁。
  3. ^ a b c d e St John on Patmos”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2024年6月27日閲覧。
  4. ^ a b ヴァルター・ボージング 81頁。
  5. ^ a b 岡部紘三 99-102頁。
  6. ^ a b 『NHK ベルリン美術館1 ヨーロッパ美術の精華』、1993年、52頁。

参考文献

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