バルトロメオ・パンチャティキの肖像とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > バルトロメオ・パンチャティキの肖像の意味・解説 

バルトロメオ・パンチャティキの肖像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 15:11 UTC 版)

『バルトロメオ・パンチャティキの肖像』
イタリア語: Ritratto di Bartolomeo Panciatichi
英語: Portrait of Bartolomeo Panciatichi
作者 アーニョロ・ブロンズィーノ
製作年 1540年ごろ
種類 板上に油彩
寸法 104 cm × 85 cm (41 in × 33 in)
所蔵 ウフィツィ美術館フィレンツェ

バルトロメオ・パンチャティキの肖像』(バルトロメオ・パンチャティキのしょうぞう、伊:Ritratto di Bartolomeo Panciatichi)は、ブロンズィーノとして知られるイタリアマニエリスム期の画家、アーニョロ・ディ・コジモによる板上の油彩画で、1540年頃に制作された。イタリアフィレンツェウフィツィ美術館に収蔵されている。

概要

1530年にフィレンツェは君主の地位についたメディチ家の専制政治の確立により、以前の共和制の自由を失ってしまった。芸術はコジモ1世・デ・メディチとその後継者による保護を受ける結果となり、国家事業のようになって展開していった。この変化を知る手がかりは、ブロンズィーノが描いた肖像画にはっきり示されている。モデルたちは貴族的で、感情を表さず、唇を固く閉ざしている[1]

バルトロメオ・パンチャティキは1507年の生まれで、フィレンツェのヒューマニストであり、政治家であった。フィレンツェの駐仏大使も勤めた。パンチャティキは、明らかにフィレンツェ風の建築を背景に飼い犬といっしょに座っている。右手の壁の上にパンチャティキ家の紋章がついている。彼の妻、ルクレツィアも数年後にブロンズィーノによって肖像画が制作された。夫妻の肖像画は、ヴァザーリによって高く評価された[2]。パンチャティキは、ブロンズィーノに『パンチャティキの聖家族』として知られる聖家族の絵画も依頼した[3]

関連作品

脚注

  1. ^ ウフィツィ美術館、みすず書房、1994年刊行、100項参照 ISBN 4-622-02709-7 2021年9月15日閲覧
  2. ^ ウフィツィ美術館、みすず書房、1994年刊行、102項参照 ISBN 4-622-02709-7 2021年9月15日閲覧
  3. ^ ウフィツィ美術館、みすず書房、1994年刊行、104項参照 ISBN 4-622-02709-7 2021年9月15日閲覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  バルトロメオ・パンチャティキの肖像のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バルトロメオ・パンチャティキの肖像」の関連用語

バルトロメオ・パンチャティキの肖像のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バルトロメオ・パンチャティキの肖像のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバルトロメオ・パンチャティキの肖像 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS