ノーヤ節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:33 UTC 版)
弘治元年(1555年)2月、神代勝利は龍造寺隆信と多布施館にて和睦のために会見した。その際、隆信は勝利を毒殺しようと謀ったが、勝利近臣の馬場四郎左衛門の機転で事なきを得る。その帰り際、勝利は隆信の愛馬に飛び乗ると即興で以下の歌を歌い、隆信らが呆気に取られる中を、勝利は意気揚々と引き上げた。 「おどま山からじゃっけんノーヤ、お言葉も知らぬヨウ、あとで御評判な頼みます」 この歌は以降「ノーヤ節」と呼ばれ、山内の宴席ではこれが出ないと場が盛り上がらないとまで言われたが、現在では歌える人もいなくなったという。
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