ノートルダム・デュ・サブロン教会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ノートルダム・デュ・サブロン教会の意味・解説 

ノートルダム‐デュ‐サブロン‐きょうかい〔‐ケウクワイ〕【ノートルダムデュサブロン教会】

読み方:のーとるだむでゅさぶろんきょうかい

《Église Notre-Dame du Sablon》ベルギーの首都ブリュッセル中心部にある教会1304年射手組合により建てられ礼拝堂由来する15世紀改築され、フランボワイヤンゴシック様式教会になった美しステンドグラスで有名。

ノートルダムデュサブロン教会の画像
正面撮影Nigel's Europe & beyond http://goo.gl/gC9I3N
ノートルダムデュサブロン教会の画像
側面撮影Nigel's Europe & beyond http://goo.gl/gC9I3N
ノートルダムデュサブロン教会の画像
教会とプチサブロン広場撮影・Stephane Mignon http://goo.gl/Nn1Eht

ノートルダム・デュ・サブロン教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/01 20:02 UTC 版)

ノートルダム・デュ・サブロン教会

ノートルダム・デュ・サブロン教会(Eglise Notre-Dame du Sablon)は、ベルギーの首都ブリュッセルのサブロン地区にあるカトリック教会

教会は、レジャンス通り (Rue de la Régence)沿い、プチ サブロン広場 (Square of Petit Sablon) の向かいに位置する。この場所には、トラムのプチ サブロン駅 (92番線と93番線) がある。

概要

教会の起源は、13世紀初頭に遡る。当時、ブラバント公アンリ1世は、射手組合をギルドとして認め、サブロン (城壁外の砂地) の区画を練習場として使用する権利などの特権を与えた。それからほぼ1世紀後の1304年、聖ヨハネ病院の兄弟姉妹のギルド(Hôpital Saint-Jean)は、サブロンに隣接する土地を射手組合ギルドに譲渡し、そこに小さな礼拝堂が建てられた。

伝説によると1348年アントワープのベアトリス・スートケンズという敬虔な女性が、天使のお告げに従い、聖母マリア像を船でブリュッセルに運んだ。聖母マリア像は射手組合ギルドの礼拝堂に捧げられ、ギルドは、巡礼者の多さを考慮して教会を建てると約束し、これが現在のノートルダム・デュ・サブロン教会になった。

マリア像は、射手組合ギルドの守護聖人として崇拝されるようになり、16世紀以降、ベアトリス・スートケンズがノートルダム・デュ・サブロン教会の周りを行列したことを起源にした「オメガング」という祭典が催されるようになった[1]

ギャラリー

脚注

  1. ^ 16世紀から続く伝統の祭典・オメガング(Ommegang)”. 株式会社ユーレックス (2019年4月19日). 2024年8月28日閲覧。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ノートルダム・デュ・サブロン教会」の関連用語

ノートルダム・デュ・サブロン教会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ノートルダム・デュ・サブロン教会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのノートルダム・デュ・サブロン教会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS