トーマス・ドリュー_(建築家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > トーマス・ドリュー_(建築家)の意味・解説 

トーマス・ドリュー (建築家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 05:20 UTC 版)

サー
トーマス・ドリュー
生誕 (1838-09-18) 1838年9月18日
北アイルランド
アントリム県 / ダウン県
ベルファスト
ヴィクトリア・プレス
死没 1910年3月13日(1910-03-13)(71歳)
アイルランド
ダブリン県ダブリン
墓地 ディーンズ・グランジ共同墓地英語版
国籍 アイルランド
市民権 イギリス
トーマス・ドリュー
イザベラ・ドリュー
家族 キャサリン・ドリュー(姉)

サートーマス・ドリュー1838年9月18日 - 1910年3月13日: Sir Thomas Drew)はアングロサクソン系アイルランド人の建築家である。

経歴

北アイルランドベルファストにあるヴィクトリア・プレスで、トーマス・ドリュー牧師とイザベラ・ドリュー(旧姓: ダルトン)の息子として生まれる。彼は夫妻の7人の子供達(息子4人、娘3人)の中の1人であったが、子供達の大半が若いうちに亡くなっている。姉にはジャーナリストで著作家のキャサリン・ドリューがいる[1]

ダブリンで働くために移転する以前にチャールズ・ラニオン英語版の下で訓練を受け、そこでウィリアム・ジョージ・マレーの首席補佐となった。1865年にコナー主教区とダウン・アンド・ドロモア連合主教区の教区建築家となり、ドリューの主要な活動は教会建築となる。彼は聖パトリック大聖堂クライストチャーチ大聖堂の顧問建築家であった[2]

1871年、ウィリアム・ジョージ・マレーの妹であるアデレード・アンと結婚した[3]

他の建設事業の間に、デイム街英語版にあるアルスター銀行、ダブリン大学トリニティ・カレッジにあるラスミンズ英語版公会堂(1899年完成)と卒業生記念館英語版の設計責任者となった[4]。歴史的建築物にも興味を示し、1886年にダブリンで最古の教区教会である聖オードウェン教会英語版における建築的かつ歴史的な重要性に初めて真剣に関心を示した人物である。アイルランド王立建築家協会英語版から賞を受けた教会の詳細な設計図を制作した彼は発掘調査を行い、教会やその歴史についての論文を作成した[5]

1885年から1892年にかけて、リチャード・オーペンはドリューの管理補佐を務めた[1]。ベルファストにおけるドリューが担当した仕事で最も顕著なのは1899年に竣工した聖アンナ大聖堂であろう[1]

栄誉 / 提携

1900年度女王誕生記念叙勲英語版ナイト(ナイト・バチェラー)に叙任され、1901年から1903年まで王立アルスター建築家協会英語版会長を務めた。さらにはアイルランド王立建築家協会(RIAI)、アイルランド王立古物商協会英語版(RSAI)の会長、および王立アイルランド学士院英語版(RHA)の会長も務め、アイルランド国立大学ダブリン校で建築学部の学部長にも就任した。ダブリンのモンクスタウン周辺地区英語版にあるゴートナドゥルに住んでいた[1][6]

1910年2月、虫垂炎の手術を受けた彼は危篤状態に陥り、同年3月13日に亡くなった。遺骸はディーンズ・グランジ共同墓地英語版に埋葬された[1][7]

代表される作品

  • クライストチャーチ大聖堂(ダウン県バリーカルター英語版)- 修理および改築(1880年-1882年)[8]
  • ホーリー・トリニティ教会(ダウン県シーパトリック英語版)- 改築完了(1882年)[9]
  • 聖パトリック教会(ロンドンデリー県コールレーン英語版)- 修理および改築(1883年-1885年)[10]
  • 聖アンナ大聖堂(オリジナル)- (1889年-1904年;2007年完成)[11]
  • 卒業生記念館英語版(ダブリン大学トリニティ・カレッジ、1899年- 1902年)[12]

脚注

  1. ^ a b c d e Doyle, Carmel (2009). “Orpen, Richard Francis Caulfeild”. In McGuire, James; Quinn, James. Dictionary of Irish Biography. Cambridge: Cambridge University Press 
  2. ^ Irish Builder, 15 June 1880
  3. ^ "Drew, Thomas" . Dictionary of National Biography (2nd supplement) (英語). London: Smith, Elder & Co. 1912.
  4. ^ Obituary, Irish Builder no. 52, 19 March 1910, pp. 168-170
  5. ^ Crawford, John (1986). Within the Walls: The Story of St. Audoen's Church. Dublin: Select Vestry of the St. Patrick's Cathedral Group of Parishes 
  6. ^ Drew, Thomas (Sir)”. Dictionary of Irish Architects: 1720-1940. 2022年3月9日閲覧。
  7. ^ Obituary, Irish Times, 14 March 1910.
  8. ^ 1882 – Christ Church, Ballyculter, Co. Down” (英語). Archiseek - Irish Architecture (2009年9月23日). 2022年2月16日閲覧。
  9. ^ 1882 – Church of the Holy Trinity, Seapatrick, Banbridge, Co. Down” (英語). Archiseek - Irish Architecture (2015年3月17日). 2022年2月16日閲覧。
  10. ^ 1885 – St. Patrick's Church, Coleraine, Co. Derry” (英語). Archiseek - Irish Architecture (2016年8月4日). 2022年2月16日閲覧。
  11. ^ “Spire of hope to light up city” (英語). (2007年4月12日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6549473.stm 2022年2月16日閲覧。 
  12. ^ Williams, Jeremy (1994). A companion guide to architecture in Ireland, 1837-1921. Irish Academic Press. p. 150. ISBN 9780716525134 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  トーマス・ドリュー_(建築家)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トーマス・ドリュー_(建築家)」の関連用語

1
30% |||||

2
12% |||||

3
12% |||||

トーマス・ドリュー_(建築家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トーマス・ドリュー_(建築家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトーマス・ドリュー (建築家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS