トニー・荒木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/19 07:32 UTC 版)
トニー・荒木(-あらき)は、日本のミュージシャン。本名:荒木正邦。また新城健史の別名での活動もあり。
人物
トニー・荒木は、1964年松竹大船撮影所の新人俳優として契約、数々の映画に出演する。1965年、撮影所内に於いて三上真一郎と、新人俳優、栗原喜明、秋元栄次郎、杉本哲章をメンバーとした5人グループのバンド、ザ・ダイアモンドを結成、そのリーダーとなる。ザ・ダイアモンズには一時、田村正和や竹脇無我等も参加した。1966年、三上真一郎を抜いた4名はバンド名をトニーズと改名、ビクターレコードより、吉永小百合とトニーズとして勇気あるものをリリース、ミリオンセラーとなる。
概要
荒木は1966年松竹映画退社、メンバーと共にホリプロと契約、1966年のデビュー作「勇気あるもの」は、ビクターレコード・ヒット賞など数々の賞を受ける。 トニーズはその後日本テレビ系列で放送された吉永小百合ショーにレギュラー出演、数々のヒット曲を歌う。また当時の人気テレビ番組、ロッテ歌のアルバム、夜のヒットスタジオ、ヤング720などにも多数出演、その人気を高めていった。演奏曲目やスタイルは完全にグループ・サウンズであったにも拘らず、デビュー作品「勇気あるもの」がフォーク・ソングイメージだっため、一般にはGSとしての印象は薄かった。 1968年荒木健太はトニーズのハワイ公演を期にホリプロと契約を解消、レコード会社もコロンビアレコード、ポリドール、ワーナー等に転々と移籍、最終的にメンバーを引き連れ再びハワイへ。 ハワイのクラブに出演するトニーズは1975年に一旦解散、荒木健太は当時ハワイの新星人気歌手サンディーとユニットを組み、「サンディー&トニー」としてライブ活動を行った。 変名を多用する人物で、荒木健太、トニー荒木、新城健史、荒木正邦、新城健、トニー、健太、Kenta、、などがある。1994年アメリカ市民権取得とともにトニー荒木が本名となっている。 尚、荒木師匠こと荒木久美子はこのトニー・荒木の長女。
収録作品
- 勇気あるもの 吉田正作曲・佐伯孝夫作詞
- 海に泣いている 吉田正作曲・佐伯孝夫作詞
- 恋人たち 吉田正作曲・佐伯孝夫作詞
- 愛の世界 吉田正作曲・佐伯孝夫作詞
- 愛のペンダント 秋元秀康(栄次郎)作詞作曲
- 淋しいなんて 新城健史作曲・阿久悠作詞
- 夕焼けの砂浜 杉本哲章作詞作曲
- 海はふるさと 新城健史作曲・寺本圭一作詞
- アカプルコの娘 鈴木邦彦作曲・なかにし礼作詞
- そよ風とトニーズ キダタロー・作詞作曲
- がんばれマリンキッド 塚原哲夫作曲・白鳥朝詠作詞
- 恋人の楽園 村井邦彦作曲 山上路夫作詩(ポリドール・レコード)
- さいはての人女 牧野昭一作曲 志摩美之作詩(ワーナー・パイオニア・レコード)
- 渚に消えた恋 水野彰作曲 秋元秀康(栄次郎)作詩(コロムビア・レコード)
- ペルシャ猫は恋泥棒 歌・サンディー 作曲:トニー荒木 作詩:ワカコ・べレット パイナップル・レコード(Hawaii)
- ワイキキ・ブルース 歌・サンディー 作曲:トニー荒木 作詩:リサ・カネコ パイナップル・レコード
- 小さな幸せ ライム&健太 作曲:健太 作詩:山下真盛 パイナップル・レコード
- あの雲のように ライム&健太 曲詩:健太 パイナップル・レコード
- 天国の風 ライム&健太 曲詩:健太 パイナップル・レコード
- I will walk alone ライム&健太 曲詩:健太 パイナップル・レコード
- 赤いレイ 歌曲詩:健太 パイナップル・レコード
- ラナイヘ出てコーヒーのもうよ 歌曲詩:健太 パイナップル・レコード
参考:
当時のホリプロにはザ・スパイダース、ザ・ヴィレッジ・シンガーズが所属していた。
外部リンク
- トニー・荒木のページへのリンク