ディミトリス・エレフセロプーロス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 05:37 UTC 版)
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | ディミトリス・エレフセロプーロス | |||||
| ラテン文字 | Dimitris Eleftheropoulos | |||||
| ギリシャ語 | Δημήτρης Ελευθερόπουλος | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1976年8月7日(49歳) | |||||
| 出身地 | ピレウス | |||||
| 身長 | 190cm | |||||
| 体重 | 83kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1994-2004 | |
152 | (0) | |||
| 1995-1996 | → |
30 | (0) | |||
| 2004-2005 | |
10 | (0) | |||
| 2005-2006 | |
0 | (0) | |||
| 2006 | |
0 | (0) | |||
| 2006-2007 | |
14 | (0) | |||
| 2007-2009 | |
14 | (0) | |||
| 2009-2010 | |
7 | (1) | |||
| 2010-2011 | |
28 | (0) | |||
| 2011 | |
12 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1999-2001 | |
12 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2012-2013 | |
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| 2013 | |
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| 2015 | |
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| 2015-2016 | |
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| 2016 | |
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| 2016-2017 | |
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| 2017 | |
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| 2018 | |
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| 2020 | |
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ディミトリス・エレフセロプーロス(ギリシア語: Δημήτρης Ελευθερόπουλος、1976年8月7日 - )は、ギリシャの元サッカー選手、現サッカー指導者。元ギリシャ代表。選手時代のポジションはGK。
クラブ歴
幼少期からオリンピアコスFCのサポーターであった彼はそのオリンピアコスの下部組織に加入し、1994年にトップチームに昇格。1995年にプロオデフティキFCに期限付き移籍し、翌年にオリンピアコスに復帰した。1997年はフォト・ストラコシャ、アレコス・ラントスに次ぐ第3ゴールキーパーであったが、二人は怪我とパフォーマンスの悪さでポジションから外れてドゥシャン・バイェヴィッチ監督に起用された。しかし翌年に膝の変形性関節症が悪化し肩にも転移したためシーズンを棒に振った。UEFAチャンピオンズリーグ 1998-99の快進撃には間に合い、最優秀ゴールキーパーに選出された。また、2001年10月23日のUEFAチャンピオンズリーグ 2001-02・マンチェスター・ユナイテッドFC戦ではルート・ファン・ニステルローイのペナルティキックを止めた[1]。他方で2003年12月10日のUEFAチャンピオンズリーグ 2003-04ではユヴェントスFC相手に7-0の大敗を喫した。
2004年にセリエAのACRメッシーナに移籍したが、マルコ・ストラーリの牙城を崩す事は出来なかった。
2005年にACミランに移籍。翌年にASローマに移籍したが、出場機会は得られなかった。
2006-07シーズンにアスコリ・カルチョ1898 FCに移籍[2]。2007年6月11日にACシエナが2年契約で獲得したがアレクサンダー・マンニンガーの控えであった[3]。2009年5月28日に家庭の事情で退団した。
同月30日にPASヤニナFCに完全移籍。
2010年8月3日にイラクリス・テッサロニキFCに完全移籍[4]。翌年にパニオニオスFCに移籍し、12月21日に引退した[5]。
代表歴
1999年2月にベルギー代表との親善試合で代表初出場。2001年9月5日の2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・フィンランド代表戦が代表最後の試合となった。
プレースタイル
反射神経に優れており、シュートストップに定評があった。また、ペナルティエリアを飛び出してのセーブにも定評があった。他方でクロスの対応は不得手であった。
監督歴
引退したパニオニオスで監督業を始めた。
2016年9月27日に就任したアステラス・トリポリスFCでは選手時代にチームメイトであったスティリアノス・ヴェネティディスをコーチに加えた[6]。2017年2月17日に0-5の大敗を受けて双方合意で契約解除[7]。
参考文献
- ^ “Win sends Man Utd through”. BBC. (2001年10月23日) 2016年10月28日閲覧。
- ^ “Tactical Formation”. Football-Lineups.com. 2007年3月1日閲覧。
- ^ 4–3–1–2 Football Formation
- ^ http://www.iraklis-fc.gr/shownews08.jsp?newsCode=20100803171538125&CMCCode=9001&extLang=LG[リンク切れ]
- ^ “Archived copy”. 2012年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月21日閲覧。
- ^ “Προπονητης της Βέροιας ο Ελε”. 2016年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月26日閲覧。
- ^ “Τέλος ο Ελευθερόπουλος από τον Αστέρα” (英語). Contra.gr 2017年2月18日閲覧。
外部リンク
- ディミトリス・エレフセロプーロス - Soccerwayによる個人成績
- ディミトリス・エレフセロプーロス - Soccerway
- ディミトリス・エレフセロプーロス - transfermarkt(選手)
- ディミトリス・エレフセロプーロス - transfermarkt(監督)
- ディミトリス・エレフセロプーロス - TheFinalBall.com
- ディミトリス・エレフセロプーロスの監督成績 - thefinalball.com
- ディミトリス・エレフセロプーロス - National-Football-Teams.com
- ディミトリス・エレフセロプーロスのページへのリンク