ティリダテス2世の反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:37 UTC 版)
「フラーテス4世」の記事における「ティリダテス2世の反乱」の解説
ローマとの戦いが一段落すると、紀元前31年頃にティリダテス2世が王を名乗って反乱を起こした。フラーテス4世はこれを鎮圧に向かったが敗北してスキタイの下へと逃走した。そして翌年、スキタイの支援を取り付けて再度ティリダテス2世を攻撃し、今度はこれに勝利することができた。ティリダテス2世はローマへと逃れ、ローマの支援を受けて紀元前26年初頭にパルティアへ帰還し、バビロニアを支配下に納める事に成功したが、フラーテス4世は同年半ばには再び反撃に出てティリダテス2世を駆逐した。ティリダテス2世は尚も再起を目指して軍を集め、紀元前25年に再びバビロニアへ侵攻してセレウキアを占領したが、同年中に敗れてその権力は完全に失われた。
※この「ティリダテス2世の反乱」の解説は、「フラーテス4世」の解説の一部です。
「ティリダテス2世の反乱」を含む「フラーテス4世」の記事については、「フラーテス4世」の概要を参照ください。
- ティリダテス2世の反乱のページへのリンク