ジョン・ヘンリー・ドルフとは? わかりやすく解説

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ジョン・ヘンリー・ドルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 10:16 UTC 版)

ジョン・ヘンリー・ドルフ
John Henry Dolph
自画像
誕生日 1835年4月18日
出生地 アメリカ合衆国,フォート・アン(Fort Ann)
死没年 1903年9月28日
死没地 アメリカ合衆国,ニューヨーク
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ジョン・ヘンリー・ドルフ(John Henry Dolph、1835年4月18日1903年9月28日)は、アメリカ合衆国の画家である。犬や猫を題材に描き、人気のある画家になった。

略歴

ニューヨーク州ワシントン郡のフォート・アン( Fort Ann) に生まれるが、6歳の時、オハイオ州アシュタビューラ郡に家族と移り、そこで育った。コロンバスの馬車の塗装工として働いた後、クリーブランドデトロイトで肖像画家として働き始めた。

1864年にニューヨークに移り、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に毎回、出展するようになり、1900年まで出展を続けた[1]。1860年代の終わりには風景画を描くようになり、1870年からヨーロッパへ修行に出て、1873年までベルギーのアントウェルペンで学んだ。1880年から1882年にはパリに滞在し修行した。帰国すると、犬や猫などを描くことに専念した。

ニューヨーク、マンハッタン57丁目に建設されたアーティストのための建物、シャーウッド・スタジオ・ビルディング(Sherwood Studio Building)に住んだ。ニューヨークの美術クラブ、キット・キャッツ・クラブ(Kit Cat Club)やロータス・クラブ(Lotus Club)、サルマガンディー・クラブ(Salmagundi Club)の会員だった[1]。1892年に新聞「ニューヨーク・トリビューン」で好意的な批評を受け、ニューヨークの貧しい子供を描いて人気のあったジョン・ジョージ・ブラウンと共に論じられた[1]。イギリスの有名な動物画家、エドウィン・ランドシーアになぞらえて、「アメリカのランドシーア」と評する批評家もいた[2]

1877年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員に選ばれ、1898年に正会員に選ばれた。

作品

参考文献

  1. ^ a b c Haverstock, Mary Sayre; Vance, Jeannette Mahoney; Meggitt, Brian L., eds (2000). Artists in Ohio, 1787–1900. Kent State University Press. pp. 233 f. ISBN 0-8733-8616-7. https://books.google.com/books?id=ZdICm_W8xKwC&q=Dolph&pg=PA233 
  2. ^ Zellman, Michael David, ed (1986). American Art Analog: 1688-1842. Chelsea House Publishers. p. 268. ISBN 1-5554-6001-1. https://archive.org/details/168818420000unse/page/268 



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