ジョルジェ・カルロス・フォンセカとは? わかりやすく解説

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ジョルジェ・カルロス・フォンセカ

(ジョルジ・カルルシュ・フォンセカ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/18 04:09 UTC 版)

この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • ジョルジ・カルルシュ・フォンセカ
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・アルメイダ、第二姓(父方の姓)はフォンセカです。
ジョルジェ・カルロス・フォンセカ
Jorge Carlos Fonseca

ジョルジェ・カルロス・フォンセカ(2011年12月)

任期 2011年9月9日2021年11月9日
首相 ジョゼ・マリア・ヌヴェス
ユリス・コレイア・エ・シルバ

出生 (1950-10-20) 1950年10月20日(72歳)
ポルトガルミンデロ
政党 民主運動
出身校 リスボン大学
配偶者 リージャ・フォンセカ

ジョルジェ・カルロス・デ・アルメイダ・フォンセカポルトガル語: Jorge Carlos de Almeida Fonsecaポルトガル語発音: [ˈʒɔɾʒɨ ˈkaɾluʒ dɨ alˈmejdɐ fõˈsekɐ]1950年10月20日 - )は、カーボベルデの政治家。2011年から同国の大統領職を2期10年務めた。1991年から1993年まで外務大臣を務めたのち、2011年の大統領選挙に民主運動から出馬して当選した。

経歴

1950年10月20日[1]ミンデロで生まれ、ミンデロとプライアで初等・中等教育を受けたのち本国に留学し、リスボン大学で法学の修士号を得た[2]。帰国後は官僚となり、1975年から1977年までは移民局の事務局長、1977年から1979年までは外務省の事務局長を務めた。その後は1982年から1990年までリスボン大学の教員を務めた。カーボベルデが民主化して複数政党制が導入されると帰国し、民主運動が1991年に政権を取ると民主運動政権の外務大臣となった。2001年の大統領選挙にも出馬したものの、予備選挙で敗れた。2011年には再び民主運動から大統領選挙に出馬し、第1次投票で38%の支持を得た。決選投票ではカーボベルデ独立アフリカ党のマヌエル・イノセンシオ・ソウザとの一騎討ちとなり、勝利した[3]。2011年9月9日、カーボベルデ共和国第4代大統領として就任した。2期10年務め、2021年11月9日に退任。

脚注




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