ジョアン・コエーリョ・ネトとは? わかりやすく解説

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ジョアン・コエーリョ・ネト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 09:51 UTC 版)

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はコエーリョ、第二姓(父方の姓)はネトです。
プレギーニョ
名前
本名 ジョアン・コエーリョ・ネト
João Coelho Neto
ラテン文字 PREGUINHO
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1905-02-08) 1905年2月8日
出身地 リオデジャネイロ
没年月日 (1971-10-01) 1971年10月1日(66歳没)
身長 176cm
体重 63kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1925-1938 フルミネンセFC 174 (135)
代表歴
1930-1932 ブラジル 3 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

プレギーニョ(Preguinho)ことジョアン・コエーリョ・ネト(João Coelho Neto、1905年2月8日 - 1971年10月1日)は、ブラジルリオデジャネイロ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード

ブラジルの作家コエーリョ・ネトを父に持ち、1925年から1938年までフルミネンセFCでプレーした。同クラブでは1930年、1932年と2度リオデジャネイロ州選手権の得点王となり、通算184得点を挙げた。また、第1回のFIFAワールドカップブラジル代表のキャプテンを務め、ユーゴスラビア戦でブラジルのワールドカップ初ゴールも決めたほか、6日後に行われたボリビア戦では2得点を記録した[1]。ブラジル代表としての通算成績は国際Aマッチ3試合出場4得点、非公式戦2試合出場3得点[2]

サッカー以外でも、バレーボールバスケットボールをはじめ様々なスポーツで才能を発揮し、1952年にGrande Benemérito Atletaを受けた[3]

1971年に死去。現役時代の功績を称え、フルミネンセFCはプレギーニョの彫像を制作した。

獲得タイトル

クラブタイトル

個人タイトル

  • リオデジャネイロ州選手権得点王 1930, 1932

脚注

  1. ^ World Cup 1930
  2. ^ Todos os brasileiros 1930”. Folha de São Paulo (2015年12月9日). 2018年11月19日閲覧。
  3. ^ Biografias Preguinho



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