ジュール=アレクシ・ミュニエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/06 00:12 UTC 版)
ジュール=アレクシ・ミュニエ Jules-Alexis Muenier |
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生誕 | 1863年11月29日 フランス、リヨン |
死没 | 1942年10月28日 フランス、Coulevon |
ジュール=アレクシ・ミュニエ(Jules-Alexis Muenier、1863年11月29日 - 1942年12月17日)はフランスの画家、写真家である。
略歴
リヨンで生まれた。父親はジャーナリストで、「L'Aube」や「L'Indépendant de l'Oise」の編集長を務めた。トロワやボーヴェの高校で学び、美術のクラスで才能を見出され1881年にパリのエコール・デ・ボザールに入学しジャン=レオン・ジェロームの教室で学んだ。一緒に学んだ、パスカル・ダニャン=ブーベレやギュスターヴ=クロード=エティエンヌ・クルトワと親しくなった。
1885年にパリからオート=ソーヌ県のクルヴォン(Coulevon)に移り、マリー・パリ(Marie Pâris)と結婚した。義理の父親から財産を受け継ぎ、クルヴォンの村に邸を持った[1]。1887年にサロン・ド・パリに出展し賞を得た[2]。奨学金が与えられて、スペインを旅し、モロッコのフェズやタンジェまで旅した。「オリエンタリズム」が流行していたのでモロッコには、ルイ=オーギュスト・ジラルドやルネ=グザヴィエ・プリネといった画家たちが滞在していた。ミュニエは友人のダニャン=ブーベレとアルジェリアまで旅した。アルジェの夕暮れの風景画や現地の女性の人物画を残した。
自らの住む地方の人々の生活や、風景を描いた。2年間滞在したコルシカ島や息子が住んだスイスの風景も描いた。
1911年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した。1921年に芸術アカデミーの会員に選ばれた。
作品
脚注
参考文献
- ジュール=アレクシ・ミュニエのページへのリンク