ジャン=バチスト・エリサルドとは? わかりやすく解説

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ジャン=バチスト・エリサルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/22 07:43 UTC 版)

ジャン=バチスト・エリサルド
身長 1.72m
体重 73kg
愛称 le Petit rat (小さな鼠)
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スクラムハーフ
ユース経歴
スタッド・ロシュレ
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1997-2002
2002-2010
スタッド・ロシュレ
スタッド・トゥールーザン
()
更新日:  2007年10月13日
代表
チーム 出場 (得点)
2000-2009 フランス 35 (212)

ジャン=バティスト・エリサルドJean-Baptiste Élissalde1977年11月23日-)はフランスラ・ロッシェルシャラント=マリティーム県)出身のラグビー選手。スクラムハーフとして、フランス代表スタッド・トゥールーザントゥールーズ)でプレーしている。

人物

父、ジャン=ピエール・エリサルド[1]が監督をしていたスタッド・ロシュレ(ラ・ロッシェル)でユース時代を過ごし、2000年に代表デビューを飾った後、スタッド・トゥールーザンに加入する。同クラブでエリサルドはスクラムハーフ、スタンドオフのどちらのポジションでプレーするにしても、ヤン・ドレーグやフレデリック・ミシャラクという強力なライバルとの戦いを強いられることになる。この争いに負けて、2003年のハイネケンカップの優勝に貢献することができなかった。同年のTop14決勝には出場したが、スタッド・フランセ・パリに敗北した。

2004年にはハイネケンカップに出場。その数ヶ月前には、シックスネイションズでフランス代表の達成したグランドスラムに貢献し、36得点を決めてフランス代表での得点王となった。

2005年にスタッド・フランセ・パリを下してようやくハイネケンカップの優勝を手にする。ファビアン・プルースの不在を受け、南アフリカ、およびオーストラリア遠征の代表キャプテンに選ばれた。この2005年の秋の遠征で南アおよびオーストラリアに勝利し、エリサルドは優れた才能とチームメイトであるフレデリック・ミシャラクとの相性の良さを示すことができた。

キャリア

クラブ

フランス代表

2000年3月4日のスコットランド戦で初キャップ。

タイトル

クラブ

フランス代表

  • 30セレクション。
  • 4トライ、35ペナルティー、34コンヴァージョン、193得点。
  • 年ごとのセレクション: 2(2000)、2(2003)、5(2004)、5(2005)、6(2006)、10(2007)。
  • シックス・ネイションズ
  • フランスA代表 : 3(2003、イングランドA, アイルランドA)、1(2002、オーストラリアA)。
  • フランスU-21代表 : 1997。

脚注

  1. ^ 父、ジャン=ピエールも祖父、ローラン・ビダールもフランス代表のスクラムハーフとして活躍した。

参照

伝記

  • 『エリサルド 父から息子へ(Élissalde de pères en fils)』、ジャン=ミシェル・ブレゾー著、Le nouvel R社、2006年。

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