コルネリス・コルトとは? わかりやすく解説

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コルネリス・コルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 10:16 UTC 版)

コルネリス・コルト
Cornelis Cort
Hans Speckaertによる肖像画
生誕1533年
ホールン
死没1578年3月17日
ローマ

コルネリス・コルト[1](Cornelis Cort、1533年 - 1578年3月17日[2])は、オランダ生まれの版画家である。1565年からイタリアに滞在し、イタリアではコルネリオ・フィアンミンゴ(Cornelio Fiammingo)と呼ばれた。

略歴

現在の北ホラント州ホールンで生まれた。ハールレムの学者、版画家のディルク・コールンヘルト(Dirck Coornhert, 1522-1590)の弟子であったと考えられている[2]。1553年頃、アントウェルペンの出版業者、ヒエロニムス・コック(1518-1570)の店でコルトの最初の版画が出版されたが、北部オランダで働き続けていたと考えられている[2]

1565年にヴェネツィアに移り、画家のティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1490 - 1576)の家に住み、ティツィアーノの作品を版画にする仕事をした。1566年に一旦オランダに戻ったが、1567年に再びヴェネツィアに移り、ボローニャローマにも滞在した。ポリドーロ・ダ・カラヴァッジョイタリア語版英語版フェデリコ・バロッチジュリオ・クローヴィオジローラモ・ムツィアーノイタリア語版英語版といった当時の重要な画家の複製版画を制作した。オランダにいた時代にもミヒール・コクシーフランス・フロリスマールテン・ファン・ヘームスケルクヒリス・モスタールトバルトロメウス・スプランヘルといったオランダ、フランドルの画家の作品の複製版画を制作していた。

ローマで美術学校を作り、アゴスティーノ・カラッチらを教えた。1569年から1571年の間に何度かフィレンツェに旅しメディチ家のために働いた。その後またヴェネツィアで暮らし、1577年にローマに移り、翌年ローマで没した。

作品

脚注

出典

  1. ^ 国立西洋美術館収蔵作家名一覧
  2. ^ a b c Biografische gegevens bij het RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis



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