ケリー伯爵 (スコットランド貴族)とは? わかりやすく解説

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ケリー伯爵 (スコットランド貴族)

(ケリー伯爵_(スコットランド) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 16:15 UTC 版)

1613年にサー・トマス・アースキンが購入し、アースキン家が邸宅としていたケリー城英語版。1970年よりナショナル・トラスト・フォー・スコットランド英語版所有。

ケリー伯爵英語: Earl of Kellie)は、イギリス伯爵位。スコットランド貴族1619年に初代フェントン子爵トマス・アースキン英語版が叙位されたことに始まる。爵位名はスコットランドファイフ州の Barony of Kellie[訳語疑問点] に由来する。

ケリー伯爵は1835年よりマー伯爵が兼ねている。またスターリング城の城代とスコットランドの氏族のひとつアースキン氏族英語版氏族長を世襲している。

マー伯爵兼ケリー伯爵の紋章エスカッシャンの後ろに配置された鍵と杖(バトン)は、スターリング城の城代であることを示す

歴史

アースキン氏族は、ローランド地方レンフルーシャーアースキン英語版に起源を持つスコットランドの氏族である。名前が知られている最初の人物はヘンリー・ド・アースキンで、スコットランドアレグザンダー2世の1226年3月12日付の書簡に証人として名前が見える[1]

第一次スコットランド独立戦争において、アースキン氏族はブルース氏族を支持していた。サー・ロバート・アースキンはスコットランド王デイヴィッド2世によって要衝スターリング城の城代とされ、1350年にはスコットランド宮内長官(英語: Chamberlain of Scotlandおよび北フォースの司法官(Justiciar)にも任命されている。ブルース朝断絶後、アースキン氏族はロバート2世を支持し、ステュアート朝の成立に貢献した。

1435年に第12代マー伯爵アレグザンダー・ステュアート英語版[註釈 1]が薨じた後、上記サー・ロバートの孫にあたる初代アースキン卿英語版ロバート・アースキンは、母親が第7代マー伯爵ガルトナイト英語版の血を引いていたことから継承権を請求した。この主張は当初ステュアート朝の王たちに容れられなかったが、1565年にメアリ1世によって遡る形で認める勅許状が発せられ、第6代アースキン卿ジョン・アースキンは第18代マー伯爵となった。

ガウリー陰謀事件(ヤン・ルイケンによる想像画)。アレグザンダー・リヴァンや第3代ガウリー伯爵ジョン・リヴァン英語版らがスコットランド王ジェイムズ6世の暗殺あるいは誘拐を狙ったものとされるが、真相は明らかではない

1619年にケリー伯爵に叙されたトマス・アースキンは、第18代マー伯爵ジョン・アースキンの弟アレグザンダー・アースキン・オヴ・ゴガー英語版の息子である。トマスはスコットランド王ジェイムズ6世(後にジェイムズ1世としてイングランド王に即位)と同い年の学友であり、終生にわたる寵臣であった。1600年に発生したガウリー陰謀事件(英語: Gowrie Conspiracyではジョン・ラムゼイ英語版(後の初代ホルダーネス伯爵英語版)とともに首謀者とされるアレグザンダー・リヴァン英語版を斬り、没収されたリヴァン家(ガウリー伯爵英語版家)の財産の三分の一を与えられている。1604年に「ディーレトンのアースキン卿Lord Erskine of Dirletowne)」、1606年に「フェントン子爵Viscount Fentoun)」へ叙された後、1619年に「ケリー伯爵」へと陞叙された。

初代伯爵の孫にあたる第3代ケリー伯爵アレグザンダー・アースキンはイングランド内戦期の軍人であった。彼は騎士党王党派)に属し、ウスターの戦い円頂党(議会派)の捕虜となり、釈放後は王政復古まで海外に逃れた。3代伯爵の孫である第5代ケリー伯爵アレグザンダー・アースキン1745年ジャコバイト蜂起においてジャコバイト側につき、プレストンパンズの戦い英語版フォルカーク・ミュアの戦い英語版カロデンの戦いグレートブリテン王国政府軍と戦い、捕らえられてエディンバラ城へ収監されている。次いで第6代ケリー伯爵となった5代伯爵の息子トマス・アースキンは、音楽家・作曲家として知られる。その弟にあたる第7代ケリー伯爵アーチボルド・アースキンは生涯未婚であったため、爵位は3代伯爵の弟サー・チャールズ・アースキン準男爵の子孫へ継承された。

第10代ケリー伯爵メスヴェン・アースキンが1829年に卒すると、初代伯爵の子孫は断絶した。しかし勅許状には「アースキン家の家名と紋章を帯びる男系男子相続人(“heirs male bearing the name and arms of Earskine”)」への特別継承権(英語: Special remainderが付されていたため、本家筋(初代伯爵の伯父の子孫)である第26代マー伯爵ジョン・アースキンが継承権を主張。1835年にこれが認められて襲爵、第11代ケリー伯爵となった。

26代マー伯爵兼11代ケリー伯爵ジョンには息子がいなかったため、没後ケリー伯爵位とアースキン家の財産は父方の従弟であるウォルター・アースキンが、マー伯爵位は女系の甥であるジョン・グッドイーヴ(襲爵にあたりグッドイーヴ=アースキンへ改姓)がそれぞれ相続した。しかし12代ケリー伯爵はマー伯爵の継承権も主張し、相続争いが発生した。貴族院特権委員会は当初12代ケリー伯爵の主張を認めたものの、最終的に1885年の議会立法により、1565年に6代アースキン卿ジョンはマー伯爵の継承を認められるとともにもう一つのマー伯爵が創設されていたと見做すと決定された。これにより、中世創設の元のマー伯爵をジョン・グッドイーヴ=アースキンが、1565年創設のマー伯爵を第13代ケリー伯爵ウォルター・アースキン[註釈 2]が相続することになった。以後2019年現在に至るまでマー伯爵(1565年創設)とケリー伯爵はその子孫によって保持されている。

ケリー伯爵 (1619年)

脚注

註釈

  1. ^ ロバート2世の孫で、第11代マー伯爵イザベル・ダグラス英語版と結婚し妻の権利によって(Jure uxoris)マー伯爵となった。
  2. ^ 12代ケリー伯爵の息子。裁定前に父親の卒去により襲爵していた。

出典

  1. ^ Paul, James Balfour, Sir [in 英語], ed. (1908). "ERSKINE, EARL OF MAR". The Scots peerage (英語). Vol. 5. Edinburgh: David Douglas. p. 590. 2015年6月27日閲覧

関連項目

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