クーリエ・アンテルナショナル
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/26 01:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動種別 | 週刊 |
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判型 | ベルリナー判 |
所有者 | ル・モンド |
編集者 | Philippe Thureau-Dangin |
設立 | 1990年[1] |
政治的傾向 | 中道左派・中道 |
言語 | フランス語 ポルトガル語 日本語 |
本社所在地 | パリ |
ISSN | 1154-516X |
ウェブサイト | www.courrierinternational.com |
『クーリエ・アンテルナショナル」(Courrier International)は、パリを拠点とするフランス語の週刊新聞で、900以上の世界各国の新聞の記事を抜粋し、翻訳して発行している。ポルトガル語版と日本語版もある。日本語版についてはクーリエ・ジャポンを参照。
歴史と概要
クーリエ・アンテルナショナルは1987年秋にパリの5人の人物、ジャン=ミシェル・ボワジール(Jean-Michel Boissier)、エルヴェ・ラヴェルニュ(Hervé Lavergne)、モーリス・ロナイ(Maurice Ronai)、ジャック・ロセリン(Jacques Rosselin)、ジュアン・カルデロン(Juan Calderon)によって考案され、ピエール・ベルジェとグイ・ド・ウーターズ(ソシエテ・ジェネラル・デ・ベルギー)の資金調達により、ベルリンの壁崩壊の1年後の1990年11月8日に初めて発行された。この新聞は、メディアグループのLa Vie-Le Mondeによって発行されている[2]。
国際ニュースが重要な時期であったことから売上げは良く、第2号は4万部売れた。1991年1月に始まった湾岸戦争の間に発行された版では、フランスで禁止されているアラブの新聞を翻訳した[3]。ロシアのジャーナリストが執筆した1993年の10月政変に関する記事、アラブの報道の視点から見たアルジェリアの選挙 、ヨーロッパで書かれたマーストリヒト条約をめぐる国民投票、そしてアメリカの新聞が予測したビル・クリントンの選挙という一連の大きな世界的発展は、この新聞のコンセプトの実行可能性を証明した。
創設者の一人であるジャック・ロセリンは1994年末まで新聞の発行を管理していた。1994年3月にGénérale Occidentale(レクスプレスとル・ポンを所有するアルカテルの子会社)によって8300万フランで買収されたが、新聞は1999年まで発行が中断された。その後、クーリエ・アンテルナショナルはレクスプレスと一緒にヴィヴェンディに売却され、その後ル・モンドグループに売却された。ル・モンドは、クーリエ・アンテルナショナルの創刊以来、買収しようとしていた。発行の管理は、Générale Occidentaleを介して参加したベルナルド・ウォーツ(Bernard Wouts)に継承された。ル・モンドの元幹部だったウォーツは、1989年にクーリエ・アンテルナショナルの創設者たちと会っていたが、当時はまだ創刊されたばかりの雑誌への参加を拒否されていた。
関連項目
脚注
- ^ Western Europe 2003. Psychology Press. (30 November 2002). p. 230. ISBN 978-1-85743-152-0 2015年11月26日閲覧。.
- ^ “French newspapers”. 2014年11月22日閲覧。
- ^ Courrier International, l’actualité vue d’ailleurs
外部リンク
- 公式サイト (フランス語)
- ポルトガル語版 (ポルトガル語)
- 日本語版「クーリエ・ジャポン」
- クーリエ・アンテルナショナルのページへのリンク