クリスティアン1世 (ザクセン選帝侯)とは? わかりやすく解説

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クリスティアン1世 (ザクセン選帝侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 00:34 UTC 版)

クリスティアン1世
Christian I.
ザクセン選帝侯
在位 1586年2月11日 - 1591年9月25日

出生 (1560-10-29) 1560年10月29日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領ドレスデン
死去 (1591-09-25) 1591年9月25日(30歳没)
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、ドレスデン
埋葬 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領フライベルク大聖堂
配偶者 ゾフィー・フォン・ブランデンブルク
子女 本文参照
家名 ヴェッティン家アルブレヒト系
父親 アウグスト
母親 アンナ・ア・ダンマーク
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クリスティアン1世Christian I., 1560年10月29日 - 1591年9月25日)は、ザクセン選帝侯(在位:1586年 - 1591年)。

生涯

ザクセン選帝侯アウグストと妃でデンマークノルウェークリスチャン3世の王女アンナの間に第8子としてドレスデンで生まれた。

1586年に父が歿すると、兄が全て早世していたため[1]選帝侯位に即いた。

クリスティアン1世は自らの教師であったニコラウス・クレル(Nikolaus Krell)を宰相に任じたが、ザクセンはルター派が主流であったが彼はカルヴァン派であったこと、ザクセンの従来の外交政策を変更してポーランドジグムント3世フランスアンリ4世寄りの政策を採ったことなどから保守派の反発を買い、クレルはクリスティアン1世の歿後投獄・処刑された[2]

1591年に妃ゾフィーは、夫へのクリスマスの贈り物として12着の鎧を作らせた[3]。それらの多くは現存している[3]

1591年9月25日、ドレスデンで死去し、長男のクリスティアン2世が選帝侯位を嗣いだ。遺体はフライベルク大聖堂に葬られた。

子女

1582年4月25日ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルクの娘ゾフィー(1568年 - 1622年)と結婚し、彼女との間に以下の3男4女をもうけた[1]

脚注

  1. ^ a b Heinrich Theodor Flathe (1876), “Christian I.” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 4, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 172 
  2. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Saxony" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 24 (11th ed.). Cambridge University Press.
  3. ^ a b Impey 2022, p. 146.

参考文献

先代
アウグスト
ザクセン選帝侯
1586年 - 1591年
次代
クリスティアン2世



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