キョウ春台とは? わかりやすく解説

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キョウ春台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 00:32 UTC 版)

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本来の表記は「龔春台」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

龔 春台(きょう しゅんだい、Gong Chuntai、? - 1912年)。本名は謝再興、別名は張章年、号は月樵末の革命家。

湖南省瀏陽出身。若いころ清軍の兵士となったが、同時に哥老会にも加入していた。1900年唐才常漢口で蜂起の準備を行っているのに参加したが、失敗後は瀏陽に潜伏した。その後1904年黄興の組織した「同仇会」に加入した。

1906年夏、龔春台は「洪江会」を結成し、竜頭大哥と称し、組織は急速に発展した。12月には「起義」を宣言、「中華国民軍南軍革命先鋒隊」を組織し、都督を称した。年号を漢徳とし、「満清を覆し、共和制を樹立し、4億の同胞が自由と平等を獲得できることをめざす」との檄文を発した。民主共和の旗のもと、参加者は3万人に達し、勢力は湖南省と江西省の十数県に及んだ。しかし清軍に鎮圧され、龔春台は長沙に潜伏した。

1911年武昌起義が勃発すると、龔春台は忽然と姿を現し、数百人を率いて、北伐を行うと称して南京に赴いた。その後、南北和議が成ると漢口に引き返した。1912年、吐血して病死。




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