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ガインドゥバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 13:19 UTC 版)

ガインドゥバルモンゴル語: Gaindu-dpal、生没年不詳)は、14世紀前半にコデン・ウルスに仕えたスルドス部出身の領侯。


  1. ^ 『道園学古録』巻16孫都思氏世勲之碑,「太宗皇帝時、命太子闊端鎮河西、阿剌罕之子鎖兀都従太子。生子、曰只必帖木児王。鎖兀都夫人牟忽黎為保母。太子薨、只必帖木児嗣。填河西、以鎖兀都之子唐古䚟領怯薛官及所属軍匠保馬諸民五十餘年。内賛府事、外著辺職。績年七十六而没、葬於西涼州。其夫人忽都䚟・伯要真氏能修婦職、以相其夫、年六十而没。其墓在永昌府。子男凡幾人、健都班其長子也。……」
  2. ^ 『道園学古録』巻16孫都思氏世勲之碑,「子男凡幾人、健都班其長子也。領王府・怯連口・奴都赤・八児赤・昔保赤・哈赤・軍民諸色人匠。至治二年、授朝列大夫・永昌路総管。泰定二年、遷中順大夫、授本路逹魯花。三年、進亜中大夫・王傅府射」
  3. ^ 『道園学古録』巻16孫都思氏世勲之碑,「天暦元年、皇帝入正大統。明年、荊王也速也不干、入覲。薦其従行者五十人備天子宿衛。健都班、実居第一人。奏対、称旨。拝奉議大夫同僉太常礼儀院。尋参議詹事院事、俄拝監察御史・中書省左司員外郎。御史台経歴治書侍御史陞侍御史」
  4. ^ 杉山2004,481-482頁


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