カーロ・ミオ・ベン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 06:15 UTC 版)
『カーロ・ミオ・ベン』(伊語:Caro mio ben )は、トンマーゾ・ジョルダーニ作曲とされるアリエッタ。テキストはイタリア語だが、作詞者は不詳。
Caro mio benとは「いとしい女(ひと)よ」という意味で、愛する女性に対して自分のことを思ってくれるように願っている歌である。
原曲は弦楽4部と独唱からなる。1782年以前にイギリスで作曲・出版された。
概要
日本で声楽を志す者のほとんどが歌ったことのある有名な曲であり、小中高の音楽の教科書や、畑中良輔編の『イタリア歌曲集』にも収録されている。
作曲者をめぐる問題
こうした普及版では作曲者を「ジュゼッペ・ジョルダーニ(1751年 - 1798年、トンマーゾと血縁関係は無い)」と記載しているが、これは誤りである。ほとんどの普及版が典拠としているリコルディ社の『イタリア古典アリア集 第2巻』(1890年、アレッサンドロ・パリゾッティ編)で「ジュゼッペ・ジョルダーニ作曲」と記載されたものがそのまま世界中に伝播したもので、ジュゼッペは初版が出版されたイギリスに関係無いにもかかわらず、インターネット上の情報もほとんどがジュゼッペ作曲としている。他にもベルトーニやヘンデルを作曲者とみなす説が挙がっている。
知名度の高い曲目にもかかわらず大々的な調査・研究が行われず、原典についてはほとんど知られていなかったため、世界の多くの出版社、編集者がパリゾッティ版の著作権の切れた後、これを元に改変を施した楽譜を「新版」と銘打って出版し続けて来た事実が垣間見えるのである。
1980年代以後、ジョン・グレン・ペートンなどにより『古典アリア集』の曲目もオリジナルの楽譜が調査され、原典版が作成された。18世紀に成立した歌曲がパリゾッティ版では19世紀様式に改変されている事実が明らかになった上、実はパリゾッティ自身が作曲した歌曲も曲集に含まれていた事がわかってきた。ペートンの研究を受け中巻寛子(愛知県立芸術大学)がトンマーゾと出版社のやり取りを証明する史料をイギリスで発見し、中巻の論文はヘンデルとベルトーニの名前が取り沙汰された経緯にも触れている[1]。
反面、21世紀に入ってもパリゾッティ版を下敷きにした『イタリア歌曲集』の楽譜も新刊企画が幾つも見られる。楽曲解説でも譜面においても出所不明の改変や旧版の誤りが直されず、無批判に受け継がれている例も多々ある。
歌詞
イタリア語(原詩) | 日本語訳 |
---|---|
Caro mio ben, credimi almen, |
いとしい女よ |
脚注
- ^ 中巻, 寛子、ナカマキ, ヒロコ、Nakamaki, Hiroko「「イタリア古典歌曲」研究 (3)《カロ・ミオ・ベン》の作曲者、トンマーゾ・ジョルダーニ」『愛知県立芸術大学紀要』第41号、2011年、31–39頁、ISSN 0389-8369。
参考文献
- ジョン・グレン・ペートン編「原典に基づく新イタリア歌曲集」 p.128- (2001年、音楽之友社)
- 中巻寛子「「イタリア古典歌曲」研究 (3)《カロ・ミオ・ベン》の作曲者、トンマーゾ・ジョルダーニ」、『愛知県立芸術大学紀要』第41号、2011年、31–39頁、ISSN 0389-8369。
関連項目
外部リンク
- カーロ・ミオ・ベンの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト(慶應義塾大学・南葵音楽文庫が所蔵する初版、あるいはそれに準じた初期出版譜がアップされている)
固有名詞の分類
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