カーロス・エリオットとは? わかりやすく解説

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カーロス・エリオット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 06:43 UTC 版)

カーロス・エリオット
基本情報
本名 Carlos Elliott
階級 スーパーウェルター級
身長 177cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 (1962-04-29) 1962年4月29日
出身地 アメリカ合衆国アラバマ州
死没日 (2025-06-23) 2025年6月23日(63歳没)
死没地 日本青森県三沢市
家族 ELLY(長男)
LIKIYA(次男)
スタイル 右ファイタータイプ
プロボクシング戦績
総試合数 29
勝ち 26
KO勝ち 22
敗け 3
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カーロス・エリオット(Carlos Elliott、1962年4月29日 - 2025年6月23日)は、元プロボクサー。元日本スーパーウェルター級王者、元OPBFスーパーウェルター級王者。アメリカ合衆国アラバマ州出身[1]在日米軍として、青森県三沢市三沢飛行場勤務の傍ら「八戸帝拳」に所属し、プロボクシングのライセンスを取得。

経歴

同じジムに所属していたマーク堀越と同様に、日本でライセンスを取り、日本のリングでキャリアを築いたボクサーである。近年増加している実績のある海外選手をスカウトした「輸入ボクサー」ではない。デビューから6戦全KO勝利で国内ウェルター級ランク1位に上り詰め、1984年に日本タイトルに初挑戦した。チャンピオンの串木野純也は、過去11回の防衛戦を10KOで勝った屈指の強打者だった。若いエリオットは、初回から王者をスピードで圧倒し、5回まで滅多打ちにする。王座奪取は時間の問題と思われたが、6回開始早々の串木野の右ストレートでダウン。立ち上がったものの、右フックで再びロープの外に投げ出されるようなダウンを喫する。わずか7戦目の日本王者への挑戦は、経験の浅さでエリオットの逆転負けとなった。

1985年、階級をスーパーウェルター級に上げて日本タイトルを獲得。日本国内ではエリオットの強打を対戦相手が避けてしまい、対戦相手がいなくなる。1987年OPBFスーパーウェルター級王座を獲得する。国際試合を経験しながら世界タイトル挑戦をうかがう予定だったが、伏兵のフランシスコ・リスボア( インドネシア)に判定負けする。5ヶ月後、リスボアをKOしてタイトルを奪回。1991年、デビュー29戦目で、ジルベール・デレ( フランス)とのWBA世界スーパーウェルター級王座決定戦に挑戦するチャンスをつかむ。しかし、アジア太平洋圏では無敵を誇ったエリオットだったが、7回に顎を打ち砕かれてKO負け。病院に搬送されて意識不明の重体になった。退院後、現役引退を発表した。

2025年6月23日午前に心不全のため三沢基地内の病院で死去した[2]。長男のELLYも同月27日にXで公表した[3]

戦績

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1983年3月4日 勝利 2R TKO 吉田政志 日本(日立) プロデビュー戦
2 1983年6月21日 勝利 2R KO 千坂昇幸 日本(三迫) -
3 1983年9月2日 勝利 4R KO 鄭王基 韓国 -
4 1983年11月19日 勝利 2R KO 黄忠載 韓国 -
5 1984年2月3日 勝利 1R KO ヤング・デラ・クルス フィリピン -
6 1984年4月5日 勝利 5R KO 柳炳善 韓国 -
7 1984年7月30日 敗北 6R KO 串木野純也 日本(進光) 日本ウェルター級王座挑戦
8 1984年10月11日 勝利 3R KO 宋基会 韓国 -
9 1985年1月10日 勝利 5R KO 朴基正 韓国 -
10 1985年7月20日 勝利 2R KO 無限川坂 日本(上福岡) 日本スーパーウェルター級王座獲得
11 1985年11月7日 勝利 8R KO 幡野光夫 日本(ヨネクラ) 防衛1
12 1986年1月9日 勝利 1R KO トリッキー川口 日本(緑) 防衛2
13 1986年3月24日 勝利 5R TKO 幡野光夫 日本(ヨネクラ) 防衛3
14 1986年7月24日 勝利 1R KO アントニー・ストッキー アメリカ合衆国 ノンタイトル
15 1986年12月2日 勝利 5R TKO ローランド・アルデミール フィリピン ノンタイトル
16 1987年4月2日 勝利 9R KO 柳済炯 韓国 OPBFスーパーウェルター級王座獲得
17 1987年7月22日 勝利 8R 判定 フランシスコ・フェラー フィリピン ノンタイトル
18 1987年11月28日 勝利 12R 判定 鄭尚都 韓国 防衛1
19 1988年3月21日 勝利 5R TKO レナト・アンガラ フィリピン ノンタイトル
20 1988年7月2日 敗北 12R 判定 フランシスコ・リスボア インドネシア OPBFスーパーウェルター級王座陥落
21 1988年10月6日 勝利 2R KO レックス・カブバス フィリピン -
22 1988年12月1日 勝利 11R KO フランシスコ・リスボア インドネシア OPBFスーパーウェルター級王座奪回
23 1989年4月15日 勝利 3R TKO アルシー・ガルシア フィリピン ノンタイトル
24 1989年7月6日 勝利 4R KO 大和武士 日本(渡辺) 防衛1
25 1989年9月9日 勝利 6R KO アルマン・ピカール フィリピン ノンタイトル
26 1989年11月15日 勝利 12R 判定 鄭尚都 韓国 防衛2
27 1990年6月22日 勝利 2R KO 延大欽 韓国 ノンタイトル
28 1990年11月24日 勝利 10R 判定 張承泰 韓国 ノンタイトル
29 1991年2月23日 敗北 7R KO ジルベール・デレ フランス WBA世界スーパーウェルター級王座決定戦
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生涯戦績:29戦26勝(22KO)3敗

人物

三沢米軍基地内の美容室に勤務していた日本人女性と結婚。3児をもうけるも、長男が10歳の時に離婚した[4]。長男は三代目J SOUL BROTHERSELLYで、次男はTHE RAMPAGELIKIYA[1]

現役時代にオフコースのシングル「緑の日々」のPVに、清水仁が扮する元世界チャンピオンの対戦相手として出演。また、2019年11月4日放送のテレビ東京系『YOUは何しに日本へ?』に出演した際、長男が三代目JSBになるまで知らなかったEXILEについて、「自分はオフコース世代だから。オフコースと同じくらいの人気なんでしょう?」と述べた[1]

脚注

関連項目

外部リンク

前王者
無限川坂
第17代日本スーパーウェルター級王者

1985年7月20日 - 1987年3月(返上)

次王者
田端信之
前王者
柳済炯
第14代OPBFスーパーウェルター級王者

1987年4月2日 - 1988年7月2日

次王者
フランシスコ・リスボア
前王者
フランシスコ・リスボア
第16代OPBFスーパーウェルター級王者

1988年12月1日 - 1991年1月(返上)

次王者
鄭栄吉



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