カーク・ペニーとは? わかりやすく解説

カーク・ペニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 05:15 UTC 版)

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カーク・ペニー
Kirk Penney
ニュージーランド・ブレイカーズ  No.6
ポジション PG/SG
背番号 6
身長 196cm (6 ft 5 in)
体重 100kg (220 lb)
基本情報
本名 カーク・サミュエル・ペニー
ラテン文字 Kirk Penney
英語 Kirk Samuel Penney
誕生日 (1980-11-23) 1980年11月23日(39歳)
 ニュージーランド
出身地  ニュージーランドオークランドノースショア市
ドラフト 2003年 ドラフト外 
選手経歴
2003
2003-2004
2004
2004-2005
2005-2006
2006-2007
2007
2007-2010
2010
2010-2011
2011-2012
2012-
マイアミ・ヒート
CBグラン・カナリア
アッシュビル・アルティチュード
ロサンゼルス・クリッパーズ
マッカビ・テルアビブ
ジャルギリス・カウナス
アルバ・ベルリン
ニュージーランド・ブレイカーズ
スーフォールズ・スカイフォース
ニュージーランド・ブレイカーズ
バロンセスト・フエンラブラダ
TED Ankara Kolejliler

カーク・サミュエル・ペニー(Kirk Samuel Penney、1980年11月23日 - )は、ニュージーランドのプロバスケットボール選手オークランドノースショア市出身。オーストラリア男子プロバスケットボールリーグNBLニュージーランド・ブレイカーズ所属。身長196cm、体重100kg。ポジションはポイントガードシューティングガード

来歴

ウィスコンシン大学で1999年から2003年までプレーし、2000年のNCAAトーナメントではファイナル4に進出した。3年次にはビッグ・テン・カンファレンスのファーストチームに選ばれた。4年次には平均16.2得点、6.0リバウンド、3.1アシストをあげて、カンファレンスのファーストチームおよび、オールアメリカンに選ばれた。

2003年のNBAドラフトでは指名されなかったが、ミネソタ・ティンバーウルブズからオファーを受けて、サマーリーグでプレーし、3ポイントシュートを50%成功させた。

2003年11月3日、マイアミ・ヒートと10日間契約を結び、ショーン・マークスに次いでニュージーランド人として2人目のNBA選手となった。しかし、その後ヒートから解雇され、リーガACBCBグラン・カナリアでプレーした。

2004-2005シーズン、NBAデベロップメント・リーグアッシュビル・アルティチュードに所属し、42試合に出場して平均12.0得点、3.2リバウンド、1.4アシストをあげた。2004年12月26日には、ロサンゼルス・クリッパーズに加入したが、4試合に出場した後、翌年1月3日に解雇された。

2005-2006シーズンは、イスラエルマッカビ・テルアビブでプレーし、3ポイントシュートを47.8%成功させた。2005年10月のプレシーズンゲームで、マッカビがトロント・ラプターズに勝利した試合にも出場している。マッカビはこの年ユーロリーグで決勝まで進出したが、PBC CSKAモスクワに敗れた。

2006-2007シーズンは、リトアニア・バスケットボール・リーグジャルギリス・カウナスでプレーした。

2007年2月14日、ドイツのアルバ・ベルリンに加入した[1]。同年6月、ニュージーランドに戻り、ニュージーランド・ブレイカーズに加入した。2007-2008シーズン、リーグ3位の平均24.8得点、4.8リバウンド、2.6アシスト、1.3スティールをあげた。

2008-2009シーズンにはリーグトップの平均24.2得点、4.4リバウンド、2.8アシストをあげた[2]

2010年1月21日、アデレード・サーティシクサーズ戦で自己ベストの49得点をあげた。同年3月、NBAデベロップメント・リーグスーフォールズ・スカイフォースに加入、ベイカーズフィールド・ジャム戦では40得点、8リバウンドをあげた。9月28日にはサンアントニオ・スパーズと契約を結んだが、ヒューストン・ロケッツ戦で14分間出場し、9得点をあげただけで、10月11日には解雇された[3][4]。10月26日、ニュージーランド・ブレイカーズに復帰[5]、2010-2011シーズン、平均20.0得点をあげた。この年チームはNBLで初優勝した。

2011年7月、リーガACBバロンセスト・フエンラブラダと契約[6]、この年平均14.4得点をあげた[7]

2012年7月、ターキッシュ・バスケットボール・リーグのTED Ankara Kolejlilerと契約した[8]

ニュージーランド代表

1999年に18歳でバスケットボールニュージーランド代表に入り、2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピックに出場した。

バスケットボール世界選手権でも2002年大会で平均16.9得点、3ポイントシュートを45.5%成功させて、4位となる原動力になった。また2006年大会では一時18点差をつけられていた、グループラウンドの日本戦で、決勝点となる3ポイントシュートを成功させた。

その後も代表でプレーし、2009年バスケットボール男子オセアニア選手権では優勝した。トルコで行われた2010年バスケットボール世界選手権でもチーム2位の平均24.7得点をあげた。

人物

兄のロッド・ペニーはプロラグビーユニオン選手である。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Kirk Penney #4”. アルバ・ベルリン (2007年). 2013年6月15日閲覧。
  2. ^ "Kirk Penney wins 2008–09 ANBL MVP in tight race”. interbasket.net (2009年3月11日). 2013年6月15日閲覧。
  3. ^ Spurs Waive Kirk Penney”. サンアントニオ・スパーズ (2010年10月11日). 2013年6月15日閲覧。
  4. ^ Marc Hinton (2010年10月11日). “Tall Black Kirk Penney released by NBA side”. stuff.co.nz. 2013年6月15日閲覧。
  5. ^ Basketball: Penney returns to Breakers”. ザ・ニュージーランド・ヘラルド (2010年10月26日). 2013年6月15日閲覧。
  6. ^ Fuenlabrada tabs scoring machine Kirk Penney”. sportando.net (2011年7月29日). 2013年6月15日閲覧。
  7. ^ Marc Hinton (2012年5月27日). “Kirk Penney yearns to be a Breaker again”. stuff.co.nz. 2013年6月15日閲覧。
  8. ^ Marc Hinton (2012年7月26日). “Kirk Penney signs to play in Turkish capital”. stuff.co.nz. 2013年6月15日閲覧。

関連項目

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