カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 08:34 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボー Caroline Amalie af Augustenborg | |
---|---|
デンマーク王妃 | |
![]() | |
在位 | 1839年12月13日 - 1848年1月20日 |
戴冠 | 1840年6月28日 |
出生 |
1796年6月28日![]() |
死去 |
1881年3月9日(84歳没)![]() |
埋葬 |
![]() |
結婚 | 1815年5月22日 アウグステンボー城 |
配偶者 | デンマーク王クリスチャン8世 |
家名 | アウグステンブルク家 |
父親 | アウグステンブルク公フレゼリク・クリスチャン2世 |
母親 | ルイーセ・アウグスタ・ア・ダンマーク |
カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボー(Caroline Amalie af Augustenborg, 1796年6月28日 - 1881年3月9日)は、デンマーク王クリスチャン8世の2度目の王妃。
生涯
アウグステンボー(アウグステンブルク)公フレデリク・クリスチャン2世と、妃ルイーセ・アウグスタの長女として、コペンハーゲンで生まれた。父方の叔父にスウェーデン王太子カール・アウグスト、母方の伯父にフレデリク6世、また弟アウグステンボー公クリスチャンの孫にドイツ皇后アウグステ・ヴィクトリアがいる。母ルイーセは、表向きはクリスチャン7世の娘とされていたが、実際には王妃カロリーネ・マティルデとヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセの不義の子供と見なされていた。父の家系アウグステンボー家は、デンマーク王家であるオレンボー(オルデンブルク)家の有力な分家であった。
最初の妃であるメクレンブルク=シュヴェリーン公女シャルロッテ・フリーデリケと離婚したクリスチャン8世と、1815年に結婚した。2人には子供は生まれなかった。1881年、アマリエンボー宮殿で死去した。
固有名詞の分類
デンマークの王妃 |
ドロテア・フォン・ザクセン=ラウエンブルク ルイーズ・オブ・グレート・ブリテン カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボー ゾフィー・マグダレーネ・フォン・ブランデンブルク=クルムバッハ ベレンガリア・デ・ポルトゥガル |
アウグステンブルク家 |
フリードリヒ8世・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボー アルベルト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク クリスティアン・ヴィクター・オブ・シュレスウィグ=ホルスタイン フレゼリク・クリスチャン1世 |
- カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボーのページへのリンク