カアルタとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カアルタの意味・解説 

カアルタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/06 05:10 UTC 版)

カアルタのバンバラ王国

17世紀–1854年
首都 スンサナ、後にグエムー
宗教 アニミズムイスラム
政府 君主制
ファアマ
 •  (初代) 1650年 スンサ ・クリバリ
 •  (最後) 1851年 -1854年 マッサ・デンバ
歴史
 •  創立 17世紀
 •  王国の建国
 •  カッソ王国の征服 1803年
 •  ウマル・トールによる征服 1854年
 •  解体 1854年
カアルタ王国 (1825)

カアルタのバンバラ王国Kaarta, or Ka'arta,[1] Bambara kingdom)は、現在のマリ西部に位置する、17世紀にバンバラ人 が建設した歴史上の王国(ニジェール内陸デルタを中心とする セグー王国とは宿敵関係にある)。

最盛期である19世紀にはカアルタは カッソを含む地域を支配していた。現在のマリでは、カイ州ニオロキタ にあたる地域である。

歴史

バンバラ帝国を興した兄弟二人のうち一人、ニアンゴロの孫であるスンサ・クリバリー (1633年-1650年)はセグーからバンバラ王国の宿敵となる都市、スンサナを建設した。スンサの息子、マッサ・クリバリはマサッシ朝を立ち上げた。

ベネファリ (1710年-1745年)は王国の版図を拡大した。ベネファリの後継者となった兄弟のフーラ・コロはセグーのビトン・クリバリに敗れた。スンサナを征服された王国は西へと移動し、グエムを首都とした。カアルタとセグーの戦いはデッセ・コロの治世で再発し、グエムーはマンソン・ディアラに征服され、破壊された。

19世紀初頭にカアルタは再興した。ムーサ・クラボ王は1803年、フータ・トロのプル人に勝利した。さらにムーサ・クラボは小さな王国であるカッソを服従させた。カアルタはボディアン・マリバ王(1820年 から 1830年の間)の時代に頂点に達した。カアルタの軍隊はガラム、 バンブク、サルームを襲撃した。その後にはディアワラとの戦争が始まった。マッサ・デンバ (1851年-1854年)の時代にはセグーのバンバラ王国からの攻撃が再開した。1854年、カアルタ王国はエル・ハッジ・ウマル・トールにニオロで敗れた。ウマルは ママディ・カンディアン王を打ち負かし、殺害した。マサッシ朝はその後、1861年にセグーを征服するためにエル・ハッジ・ウマル・トールに追従することとなった。これはバンバラ諸王国の終焉であり、エル・ハッジ・ウマル・トール の帝国の始まりとなった(トゥクロールとして知られる) (これはバンバラのイスラム化の始まりとして知られる) しかし、帝国は19世紀の終わりにフランスの植民地化を受けて消滅した。

脚注

出典

  1. ^ Malian traditional polities”. 2022年4月22日閲覧。

参考文献

  • Hubert Deschamps (dir.), Histoire générale de l'Afrique noire, P.U.F., Paris 1971 ;
  • Jean Sellier, Atlas des peuples d'Afrique, La Découverte, ISBN 2-7071-4743-5.

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  カアルタのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カアルタ」の関連用語

カアルタのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カアルタのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカアルタ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS